18世紀以前の自由主義理論においては,各人がその行為にあたって外部からの干渉を受けない状態が「自由」であるとされていたのに対し,自律としての自由の場合,各人が何らかの行為を選択するその内面的な動捺の合理性が問われている。
-二つの自由にまつわる問題は,アイザイア・バーリンによる『自由論』(1969)において,「消極的自由」と「積極的自由」という概念によって,本格的に論じられる。
–消極的自由
—ある人が,いかなる他者からの干渉も受けずに自分のやりたいことを行い,自分がそうありたいようにあることを放任されている場合に,その人が「自由」であるとみなすという考え方。「○○からの自由」というかたちに書き換えられるもの。
–積極的自由
—ある人が,あれよりもこれを行うこと,そうあるよりこうあることを,自らが主体的に決定できる際に,その人が自由であるとみなすという考え方である。これはまさに,「自律」としての自由,もしくは自分が自分の支配者であるという意味での「自己支配」としての自由である。
—たとえば若いサッカー選手が練習をさぼりたいという誘惑を克服して,Jリーグ入りしたいという自分の夢の実現のためトレーニングに励むとき,彼は積極的な意味で自由なのである。
*積極的自由と国家
-バーリンは積極的自由の観念に対して批判的。
先ほどの例でいえば,つい誘惑に負けてしまう意思の弱い選手を殴りつけてでも練習させる鬼コーチの存在が,選手の積極的な意味での自由にとって必要だ,という論法になりかねない。このような論法が政治や社会のレベルに押し広げられた場合,それは最終的にはきわめて危険な帰結をもたらしかねない。すなわち,判断力の未熟な個人に変わって,国家や階級や民族という個人の上位に立つ全体的な存在が,より合理的な選択肢を個人にあてがうという「自由への強制」という事態にまで進みかねないというのである。こういった事態としてバーリンが想定しているのは,第一義的にはファシズムや共産主義であろう。それとともに彼は,第三世界の新興独立国のナショナリズムや、ある種の福祉国家の構想に対しても,それらが消極的自由を損ないかねないとして批判的である。
積極的自由の観念が,ただちに全体主義的な「自由への強制」に結び付くかどうかは,議論の分かれるところであろう。全体主義への批判という点ではバーリンに同意するとしても,積極的自由と呼ばれる自由の観念が,別の方向に展開していったなら,それは必ずしもバーリンが危惧するようなものとはならないと見る見方もあるからである。リベラルな国家が実際に存続しうるか否かは,結局のところ,それを構成する個人のあり方に左右されざるをえない。そうである以上,自由主義にとって個人の選択能力の問題は簡単に議論の姐上から排除できるものではない。積極的自由が,人間の内面を国家が直接支配するという抑圧的な方向ではなく,個人の選択の外的な条件整備という方向に展開するなら,それは個人の自由をむしろ強化していくことになるのではないか。
一定程度の豊かで健康的な生活や十分な教育が保障されてはじめて,各人は本人の望むような選択を行うことができるのである。こういう見方の登場によって,古典的自由主義は19世紀末から20世紀初頭にかけて大きな変貌をとげることになる。福祉国家型自由主義の登場である。
久米ほか『政治学』(有斐閣)60~