水とダイヤモンド:パラドックス

水とダイヤモンドのパラドックス(逆説)

水は人が生きていくにはなくてはならない重要なものだ。一方、ダイヤモンドは美しいけれど
も、必要不可欠なものではない。ところがそんなダイヤモンドがたいへん高価で、水は安価というのはなぜか?

* 『国富論』を著したアダム・スミスは価値には①使用価値と②交換価値があると考えた。
* 使用価値
o 使用することによって得られる便益の大きさを表す。
* 交換価値
o 取得に必要となった費用、とくに労働量の大きさを表す。

-スミスの考えは、デビッド・リカードにより引き継がれたが、理論思考の強いリカードは、価値の基準として交換価値の方が明確であると考え、「労働価値説」を創りあげた。
-つまり、ダイヤモンドの価格が高いのは、ダイヤモンドを掘り出して加工するのに多大なる労力が必要なのに、水は天から降ってくるので労力はいらない。だから、ダイヤモンドは高価で、水は安価なのか?

-ダイヤモンドは鉱脈を見つけるだけでも大変な労力が必要となる。しかし、単に費やした労力だけでは価格を説明できないものがある。
-CPU 100万ギガヘルツ、ハードディスクの容量1億テラバイト、搭載メモリ1000億バイトのとてつもないパソコンを作ろうとすれば、計り知れないほどの費用がかかる。このパソコン、星の数ほどお札を積んでも足らない費用に相当する労力がかかるが、値段もそれと同額というわけにはいかない。実際には売り物にならない。値段を設定しても、それはお飾りにすぎず、買い手がつかない。
-クリスタルで作った弁当箱なんてモノも、きっと製造に労力はかかっても、買い手は見つからず、価格はつかない。
-ピカソのような画家がほんの5分ほどで描きあげたデッサンの価格は高価である。

-絵画や骨董品などの価格が労働価値説では説明できないことは、リカードも十分理解していた。
–そのために労働価値説は、価値の90何%かしか説明できないとも言われていた。モノの価格は、それを作成、取得に必要となった費用だけでは説明できない。

* 需要と供給で価格は決定される

-リカードが捨てた使用価値の考え方を改めて発展させたのが、マーシャルやジェボンズ、ワルラスといった今日近代経済学革命を起こしたといわれる経済学者たち。彼らが指摘するように、モノの価格は需要の強さ(=使用価値の大きさ)と供給の強さ(=交換価値の大きさ)の相互作用によって決定される決まる。
-重要な点は、人々の欲求に対してどのくらいモノが豊富に人手可能か、言い方を換えるとモノはどのくらい希少であるかにより価格が決まるということ。ダイヤモンドの場合には、人々が欲しがるほどにはモノは簡単に入手できないために非常に高価となり、水の場合には人々が生命活動を維持するために必要とする量を比較的容易に入手できるために安価となる。

-例えば砂漠のど真ん中に立っている自分の姿を想像した場合。照りつける太陽の下では、生命活動を維持することが第一なので、水に対する欲求(=需要)が強くなるが、水は手に入らない。そこへ水売りがやってきたら、きっとダイヤモンドをいくら手放してもいいから水を買おうとする。

-希少性の程度は需要と供給の相対的な大小関係により決まり、希少性が高いモノほど価格は高くなる。
-これが経済学の基本原理、需要・供給の理論。

アマルティア・セン:潜在能力アプローチ

**何の平等か?
-ある人の特定の側面を他の人の同じ側面と比較することで、人は平等を判断する。そして、その比較を行う側面には複数の変数が存在する。例えば、所得、富、幸福、自由、機会、権利、ニーズの充足などである。社会制度に関するいかなる規範的理論も、ある何かに関する平等を求めてきた。
-例えば、[[ノージック]]のようなリバタリアンは「権利の平等」を求めた。効用の最大化をめざす[[功利主義]]でさえも、功利主義的目的関数上での各人の効用の増分に対する平等なウェイトづけを要求していると考えれば、平等を求める主張とみることができる。
-だが、人間は外的な状況(たとえば、資産の所有、社会的な背景、環境条件など)にも内的な特質(たとえば、年齢やジェンダー、健康状態、一般的な力量があるか、特別の才能があるか、など)は多様であるため、仮に複数ある変数の一つの平等を達成したとしても、その周辺部とみなされる他の変数の不平等に関しては受け入れなければならない。特定の側面の平等が他の面での不平等を正当化するということが、すべての平等論に共通の構造になっているのである。
–たとえば、ある種のエンタイトルメントに関して等しい権利を要求するリバタリアンは、権利の平等と同時に所得の平等を要求することはできない。効用のどの一単位にも等しいウェイトを与える功利主義者も、矛盾することなく自由や権利の平等を要求することはできない。
-そこで人間の多様性を前提として、各人に属する「何が」平等であるべきかが中心的問題となるのである。配分的正義の理論は、社会を構成する人々の間に存在する不平等を指摘し、その是正と解消の方策を探ろうとする思想上の努力である。この「不平等(不正義)」の存在をどのように確定し評価するのか、つまり「何が不平等なのか」の認識・評価基準をめぐって議論が生ずるのであり、採用された基準しだいで、ある現実が不平等とされるのか否か、またそれがどう是正されるべきなのか、の結論が異なってくる。「なぜ平等でいけなければならないか」という問いは、「何の平等か」に比べれば、重要ではなく、問われるべきは、「何の平等か」である。
-センは人々が「潜在能力」(ケイパビリティ)の平等こそが重要であると主張する。

**潜在能力アプローチと自由
-「潜在能力」とは、人が選択できる様々な「機能」の組み合わせを意味している。ここでいう「機能」とは、ある人が価値を見出すことの出来る様々な状態や行動である。たとえば、「十分な栄養を得ている」「避けられる病気にかからない」という基本的なものから、「コミュニティーの生活に参加する」「自尊心を持つ」というものまで多岐にわたる。「潜在能力」とは、「機能」のベクトルの集合からなり、何ができるのかという範囲を表している。そして、個人の福祉を「達成された機能」ではなく、「達成するための自由」で評価しようというのが、「潜在能力アプローチ」である。福祉を潜在能力によって捉えることの妥当性は、二つの相互に関連した考え方から成り立つ。
++「もし『達成された機能』が人の福祉を構成しているとすると、潜在能力(すなわち、ある個人が選択可能な機能のすべての組み合わせ)は、『福祉を達成するための自由(あるいは機会)』を構成している」という考え方。すなわち、潜在能力は、ある個人が福祉を達成するための手段(自由)をいくら持っているかを示すのである。しかし、手段に過ぎないということはできない。「自由」というものは、善き社会構造にとっては手段としてだけではなく、本質的に重要なものとみなされるべきである。
++「選択するということは、それ自体、生きる上で重要な一部分である」という考え方。重要な選択肢から真の選択を行うという人生はより豊かなものであるとみなされている。少なくとも特定のタイプの潜在能力は、「達成された成果」すなわち福祉に直接結びつく。選択の自由は、人の生活の質や福祉にとって直接重要なものである。
-「潜在能力」に含まれる「機能」は、単に実現されたものだけではなく、潜在的に実現可能なものまで含まれる。何をすることが可能かを示しているために、それは人々の自由の程度を示す指標でもある。経済発展とは選択可能な「機能」の幅を広げていくことであり、それは、自由の程度を増すことである。

**潜在能力アプローチの優位性
-厚生経済学で用いられている功利主義の価値概念は、快楽や幸福や欲望といった心理状態で定義される個人の効用にのみ究極の価値を見出す。そして、規範理論としての功利主義は効用の個人間比較を前提としている。しかし、すべての機能を効用に貢献する限りにおいて評価してしまうことは、重要な情報へのチャネルを失っている。
-まず、幸福であるとか欲望を持つということは主観的特性であって、客観的な有様(例えば、どれほど長生きできるか、病気にかかっているか、コミュニティの生活にどの程度参加できるか)を無視したり、それとかけ離れていたりすることが十分にあり得る。
-主観的概念としてみても、効用は主観的評価ではなく感情に関わる概念だということにある。人の評価もまた主観的ではあるが、それは内省と判断に基づくものであって、その点で、幸福や欲望とは異なっている。これと対照的に、「潜在能力アプローチ」は機能の客観的特徴に注目し、これらの機能を感情ではなく評価に基づいて判断するものである。
-また、困窮状態を受け入れてしまっている場合、願望や成果の心理的尺度ではそれほどひどい状態には見えないかもしれない。長い間、困窮した状況状態に置かれていると、その人は嘆き続けることをやめ、小さな慈悲に大きな喜びを見出す努力をし、自分の願望を控えめな(現実的な)レベルにまで切り下げようとする。実際に、個人の力では変えることのできない逆境に置かれると、その犠牲者は、達成できないことを虚しく切望するよりは、達成可能な限られたものごとに願望を限定してしまう。このように、個人の困窮の程度は個人の効用の尺度には現れないかもしれない。こういった、固定化してしまった困窮の問題は、不平等を伴う多くのケースで、特に深刻になる。例えば、階級や共同体、カースト、ジェンダーなどの差別の問題にあてはまる。さらに、「潜在能力アプローチ」では個人が実際にどれだけの自由を享受できているかを評価することが可能なため、「飢え」と「断食」は効用アプローチでは同じと評価されてしまうが、「潜在能力アプローチ」では重大な差異を見る。すなわち、その個人が他に選択肢がなく飢えているのか、それとも他の選択肢があって、あえて飢えているのか、大きな違いを見いだすことができる。

**潜在能力アプローチが提起する望ましい社会
-豊かさ=経済成長(および所得)ととらえれば、森林を伐採し、過剰な開発を行うことによって達成できるかもしれない。だが、それは持続可能ではないし、とても豊かになったとは実感できまい。これは途上国のみならず、先進国にも言えることである。所得という「変数」だけに注目してしまうと、他の重要な「変数」(例えば、自然環境や文化・伝統など)を無視してしまいかねない。
-所得水準が十分かどうかは、潜在能力の水準によって判断されなければならない。女性や高齢者、身体障害、病気など所得を得る能力を低下させるハンディキャップが同時に所得を潜在能力に変換することをも一層困難にしている。先進国の潜在能力の欠如はそのようなハンディキャップを伴っていることが多い。
-潜在能力の向上ないしは平等という観点から、女性に負担のかかっていた育児・介護といった家事機能をシェアするシステムの必要性もあろう。あるいは、仮に所得が多くても、医療が荒廃していたり、社会保障制度が不十分である場合、病気・障害による潜在能力の欠如をより大きなものになってしまう。経済成長を至上の目標にすることではなく、人間の潜在能力を高めるための政策が必要なのである。

ベーシック・インカムと環境問題

トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ― ベーシック・インカム論争』
∟ 第9章 エコロジズムとベーシック・インカム

9.1 育成される市民
■エコロジズムによる市民権
・ 現在の種において知覚された地位と未来の種において知覚された地位間の平等化、と定義される。
・ 人類には(人類および人類以外の)未来の世代の福祉を保証するための強い義務がある。
・ 政治共同体は地球単位の世代間関係のなかで定義される。
→諸個人は自らを自然環境の自覚的な保護者・後見人と考えるべき。自然環境は個人の所有物ではないが、個人の生活は自然環境が存在することによってはじめて可能となる。

9.2 崇高な解釈Ⅲ
■福祉国家に対するエコロジストの3つの批判
① 福祉国家は「産業主義の論理」に由来するとともに、それを支持している
・ 有限な世界のもとでは、成長の限界が存在するので、福祉国家は持続可能ではない。
・ 福祉国家は、社会問題の原因ではなく症状を扱う、福祉の治療的なシステムにすぎず、有効性に乏しい。

② 福祉国家は雇用倫理に依存している
・雇用倫理の2つの想定
1. 不安定で変動を繰り返す資本主義市場を、伝統的な核家族をしじすることによって、補正できる。
2. 仕事は、収入や地位を分配するうえでの主な手段であるべき。
・ 失業は雇用に執着する社会にもたらされた帰結。エコロジストは、雇用の重要度を引き下げて、すなわち労働時間を大幅に短縮して雇用を創出することが、雇用による福祉から脱するための必要条件と考える。

③ 福祉国家は消費者-クライアントとしての市民に基づいている
・ 福祉とは、組織の規則や基準を観察し、それに従うことを通して稼得された物質的な豊かさであるという考え方に行きつく。
・ 個人的な価値を物質主義的な尺度によって比べるべきだとする共通の本能に帰着する。

9.3 社会保障
・ 社会的公正とは、雇用水準の増加や環境に無配慮な成長ではなく、現在の雇用水準を凍結して現在の雇用を再分配することを意味する。
・ 雇用倫理の強調をやめて、雇用を生活の中心から外していくべき。

9.4 エコロジストにとってのベーシック・インカム
■BIの3つの利点
① BIには、経済成長の鈍化を促進する潜在能力がある。
・ 経済成長は財のプラスの効果を帳消しにするような「不良品」も生み出している。
・ BIは、無条件であることによって、拠出と給付の結びつきを切断し、GDPの成長に対する理論的根拠を弱める。
・ 職歴や地位と無関係に支給されるため、雇用倫理を弱体化させ、この倫理を正当化する生産主義の想定を弱体化させる。

② 共有の倫理を具現化する
・ 社会の富は、(a)自然資産、(b)経済的・技術的遺産、(c)現在の労働者/拠出者の相互努力の3つがある。(a)(b)は共同所有物であるから、そこから得られた富の一定割合を、無条件に分配すべきである。
・ 現在の移転システムは、環境破壊的な成長に最も貢献した者に最も多くの物を与えるが、BIは共有制平等主義を表現化し具現する。

③ BIは貧困と失業の罠を軽減できるので、パートタイム労働や低賃金労働が魅力的になる。

■BIを支持したがらない3つの理由

① BIが未来のエコロジカルな社会における役割を果たす可能性はあるが、その社会に導く力は弱い。
・ 緑の社会と経済に達成するためには、大衆意識を大きく変革し、制度を再編することが必要になるが、BIは既存の価値観、想定、習慣を強固にするだけである。
・ エコロジストの反物質主義と、BIの財源を調達するために高水準の物質的豊かさが必要であるという事実が矛盾を来す。

② BIによって、「労働社会」を退出し、他の活動を追求することが可能になるが、それが環境にやさしいという保証はない。

③ 環境保護派が望む分権化と、BIは中央集権的に運営せざるをえないという事実は矛盾する。

9.5 緑の政策パッケージの一部としてのベーシック・インカム

■ジェームス・ロバートソンと環境税の擁護
・BI達成が導入されると3つの機能が遂行される…
① 諸資源の共同所有権が確保される。
② 第3セクターの非国家・非市場による社会的経済が促進される
③ 環境税の逆進性の緩和
・環境税がBIとセットで導入されるときのみ、上記の目的が達成される。

■アンドレ・ゴルツと労働時間短縮の擁護
・ 公正な社会とは、必然性の領域で費やすことが求められる時間が最も短くなり、自由の領域で費やすことの時間が最も長くなった社会。この目的を達成するために、労働時間の短縮とBIの導入を提言。
・ 過剰な雇用労働に従事する者と不十分にしか従事していない者がおり、その不均衡を是正するためには、就労可能な人すべてに最低労働時間だけ働くことが要求される。
・ ゴルツの想定する社会ではBIは2つの機能を果たす…
① 雇用労働が所得の主要な源泉ではなくなり、BIは「差額を補填する」第2の小切手になる。
② 最低労働時間の労働を行わなかったり拒否すると、BIの受給権は剥奪される。
・ 反対論もあったが、エコ社会主義者の提案に労働時間の短縮とBI改革が含まれるとの考え方を確立した。

■クラウス・オッフェとインフォーマル経済の擁護

・ BIは(インフォーマル経済と「協働サークル」の成長を促すための)政策パッケージの一部となるときにはじめて大きな力を発揮する。
・ 「協働サークル」のモデルは、集合的供給が市場の形態で組織されることを提案している。それには2つの条件がある…
① サービスの交換は貨幣メディアを介して行われるのではなく、サービス・バウチャーを介して行われる。
② 不換通貨の用いられるこの種の市場を維持するために、公的補助が必要。それは財政支援ではなく、空間、設備現物支給、人的資本の提供というかたちをとる。

・「地域における貨幣を用いない交換システム」…例:LETS(Local Employment and Trading System)
・ BIと非貨幣的交換が連携したシステムは、第3セクターにおいて、重要な役割を果たす。二つは相互補完関係にある…賃労働に従事したくない者は、第3セクターにおいて他社と財やサービスを交換する機会が与えられるため、BIに頼る必要がない。日常的に貨幣を用いないで交換を行っている者は状況が変わったときにBIを最後のよりどころにできる。

9.6 結論

ベーシック・インカムとは何か

トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ― ベーシック・インカム論争』
∟ 第3章 ベーシック・インカムの原理

3.1 はじめに

3.2 ベーシック・インカムとは何か
・ ベーシック・インカムの定義が曖昧であり、擁護に就いての選択肢が多すぎる…という問題に直面。

・ 最低所得保障構想
給付の保険/扶助モデルを根本的に改革するか全廃することによって、条件付きか無条件かを問わず、全員ないし一部の市民に対して、最低水準の所得を国家が保障するための提案。
・ ベーシック・インカム
各市民に定期的に無条件で支払われる保障された所得。無条件とは、労働上の地位、雇用の記録、労働意欲、婚姻上の地位とは関係ないことを意味する。完全BI、部分BI、過渡的BIが考えられる。
・ 社会配当、参加所得、負の所得税
BIのイデオロギー的変種。

3.3 いくらくらいかかるのか?
・ 社会保障費に、管理コストや奨学金総額、所得税の控除による歳入の減少分…などを加えると、かなりの額のBIとなる。
・ 以下の2点を考慮…
① 現在の政治的雰囲気は、支出を削減することを目標としている。
② 均一額の給付は所得保障の方法として効率的ではない。
・ 支出可能な所得は部分BIの水準。完全BIを維持するような課税は、ほとんど実現可能性がない。

3.4 ベーシック・インカム小史

① 1770年代から第1次世界大戦まで
② 戦間期
③ ケインズ・ベヴァリッジ時代
④ 現在

3.5 なぜいまなのか?

―過去に傍流に置かれてきたのはなぜか?
・ 「中範囲の効果」
それぞれの望ましい社会的目標を単独で見た時の効果は大きくないが、すべての範囲の目標を考慮した場合には、その効果が大きくなる。

―現在、なぜBIが注目されるようになったか?
・ 消極的な理由
21世紀の福祉国家を近代化する上で重要な福祉改革は、1つや2つの望ましい目標に限定された改革ではなく、すべての範囲にわたる改革である。過去における政策決定の無駄を暴露するから。
・ 積極的な理由
市民権の概念を完全な形で適用するものであるから。従来の保険と扶助の給付は、それぞれ貢献原理と必要原理によって組織されてきた。貢献原理には女性を差別する効果があり、必要原理には統制と監視のシステムを伴うものであった。

3.6 結論

ベーシック・インカム 社会保障

トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ― ベーシック・インカム論争』
∟ 第2章 社会保障の給付と負担

2.1 はじめに
・ 社会保障の給付制度は2つの見出し(①技術的②社会的/道徳的)のもとで議論しなければいけない。
・ 本章では制度の技術論について紹介。

2.2 6種類の所得移転
① 社会保険給付
② 社会扶助給付
→資力付き扶助の賛成論と問題点
③ カテゴリー別給付
④ 自由裁量給付
⑤ 職域給付
⑥ 財政移転

2.3 社会保障の目的
―戦後における3つの発展段階
・ベヴァリッジ的なシステムの成立以前
資力調査付の扶助が極貧者へ所得移転するための手段として用いられた。
・ベヴァリッジ・システム
ベヴァリッジは、①稼得能力の喪失、②稼得能力の不足に陥った時に所得を保障することによって、貧困を防止できると説いた。社会保障が完全雇用経済に寄与することが期待された。
・1965年~
資力調査付き扶助に頼らない状況はなくならないという認識が強まり、資力調査への依存が拡大。

・社会保障の3つの目標
① 労働と貯蓄のインセンティブを著しく損なわないという意味での効率性
② 最も必要とする人へ適正な最低所得を給付するという意味での衡平
③ 運営のしやすさ
・さらに、3つの戦略的な目的 ― ①所得補助 ②不平等の縮小 ③社会統合

2.4 福祉の社会的分業
・ 国家福祉と財政福祉
国家福祉は支出として定義され、増加に対して国民は敏感だが、財政福祉は関心を引く傾向がないため、抑制されにくい。
・ 職域福祉
・ 福祉の性分業
⇒ 金銭移転についての議論は、間接的な形をとる福祉に敏感でなければならない。

2.5 失業と貧困の罠
・失業の罠
稼得と給付の差が小さいために、有給の職に就いても合計所得がそれほど増えない状況。
・貧困の罠
税と移転の効果が合わさったため、稼得が増えても所得全体がそれほど増えない状況。

2.6 租税と移転の再分配効果

■再分配のスナップ写真
・ 直接税としての所得税は、低所得者よりも高所得からより多く比重がかけられるが、間接税などのすべての税を考慮すると、課税の効果は相殺される。
・ 極貧者が受け取ったものは、最も裕福な者から移転されたものとは限らない。

■ライフサイクル的再分配
・ 人生のうちで稼得能力が最も高い時期から低い時期へと所得が再分配される。
・ 生涯にわたって裕福な者と貧しい者との間の全体的な再分配を見ていく必要がある。
→給付の分配をグロスでみると、きわめて均一。ライフサイクル的分配75%、垂直的分配25%。

2.7 ヨーロッパと世界の最近の動向

―1985年~1995年のヨーロッパの改革の傾向
① 就業期間が一般的に長くなった。
② 資力調査の使用を増やす傾向。
③ 民営化へ移行する傾向。
④ 給付を、求職や訓練のような事項に密接に関係させた、積極的な雇用手段へと移行させる傾向。
・ 概して、ヨーロッパ諸国は社会保険料の事業者負担を減らし、保険料よりも税金の方を財源として重んじ、国と地方のあいだの財源調達の責任区分を変えるように努めた。
・ OECD諸国では、扶助がますます重視される傾向。

2.8 結論
・ 貧困と失業の罠に対処するだけでなく、社会保障と税制を統合することによって、福祉の社会的分裂に挑もうとする。
・ 再分配効果がどれくらいあるのかを測定することは困難。再分配効果をはっきりさせることよりも、BIのイデオロギー的な背景を明らかにしなければならない…というのが議論の前提。

ベーシック・インカム論争

トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ― ベーシック・インカム論争』
∟ 第4章 弁護人対検察官

4.1 はじめに

4.2 働き者(クレージー)にならない自由
・BIは個人の自由の範囲を広げる。
「真の自由」=人々がやりたいことをする権利だけでなく、手段を持っていなければならない。

・ 真の自由を尊重する社会では、個人が「働き者」と「怠け者」のどちらになるのかを洗濯する自由を尊重されるが、現在の社会では、収入を伴った仕事にこだわっているために、働き者の生活スタイルに偏っている。

・「なぜ働き者は自分の稼ぎから、怠け者のBIの費用を出さなければならないか?」(自由主義者)
→現在の労働だけが現在の社会的財産を生み出したわけではない。BIの方が他の制度よりも中立的ということもある。

・「社会において完全なメンバーシップを獲得するためには、働く義務を果たさなければならず、怠け者の生活スタイルを尊重する必要はない」(コミュニタリアン)
→コミュニティには多数派の専横を回避するために中立性の原理が要請される。善い生活に関するある観念を持つ者が、別の観念を持つ者を迫害することは好ましくない。

4.3 公正と効率の回復
・社会的公正
① プライバシーの尊重
② 不正受給している人々の合法化
③ 最低限の所得を獲得する権利をもつという市民権の考え方を内実化
・効率性
① 行政コストの削減
② 労働市場の柔軟化、雇用率の上昇
③ 「悪性の回転」がなくなる。

4.4 罠、誘因、捕捉
・ 失業の罠、貧困の罠を克服することができる。
・ 資力調査付き給付と違って、有資格者のすべてが実際の給付を得られる。

・ 勤労の有無に関係なく所得が保証されると、労働市場から退出する者が出てくる?
・ BIのインセンティブ効果とディスインセンティブ効果

4.5 フリーライダーするサーファー
・ BIを導入した場合、誰かが生産のために払った努力に、別の者がただ乗りするのを助長し、経済的意味での社会の持続可能性の脅威となる可能性がある。

■「サーファー」への反対論…に対する4つの再反論
①自然からの授かりもの説
既存の社会財の大部分は、現在の労働の産物というよりは、自然と過去の経済からの授かりもの。
②雇用レント説
賃金稼得者は雇用レントを有している。
③プラグマティックな議論
フリーライダーは不可避の代償。
④プライスタグ説
BIは、個性や社会の多様性について実験を促しているのだから、ある程度のフリーライダーの存在は、受け入れなければならない必要悪。→フリーライダーは自由な社会の証し、と筆者は考える。

4.6 費用効果的でないという反対論
・ 部分BIでは不十分であり、水準を引き上げようとすると、税率が高くなる。
・ BIは個別的な必要や事情は無視されるため、非効率である。
・ 社会的分裂を深める可能性。

→選別主義的な分配システムの欠点
・ 資力調査付き給付…的確に、対象を定め、狙い打ち、仕留める必要がある。
・ 保険給付…拠出を行えない者を排除してしまう。

・ BIの利点は広範囲にわたるにもかかわらず、コストは明瞭。反対に、他のシステムは利点がはっきりしているがコストは隠蔽される。
・ どのシステムが最善かについては、技術的にではなく、政治的・イデオロギー的に決定される。

4.7 政治的支持に関する反対論
① BIを支持する政治連合がない。
② 選挙でBIの支持を得るのが困難。
③ 部分BIを導入するのに10年ほどかかる。

・ 実際に検討する段階となると、イデオロギー的な不一致が表面化する。BIは包括的な政策パッケージの一部として位置づけられるべき。BIを目的とした政治連合は間違いで、現実に存在する政治連合の中にBIを浸透させ、政治連合を再編する必要がある。

4.8 結論

国際関係論

IAEA(国際原子力機関)
INF
IMF(国際通貨基金)
IMF体制
TO(国際貿易機関)
旧A(国際開発協会)
lBRD(国際復興開発銀行)
旧RD体制
アグレマン
アジア・アフリカ会誠
アジェンダ
ASEAN地域フォーラム(ARF)
アパルトヘイト(人種隔離政策)
アフガニスタン侵攻
アブハジア
アフリカ統一機構
アフリカの角紛争
アフリカの年
アミンS.
アムステルダム条約(新欧州連合秦 的)
アリソン・モデル
アルバニア案
安全保障問題
安全保障理事会
アンタイド率
ERM(欧州為替相場メカニズム)
 EEC(欧州経済共同体)
EMl(欧州通貨横柄)
EMU(経済通貨同盟)
EC
ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)
ECB(欧州中央銀行)
ECU(欧州通貨単位)
EURATOM(欧州原子力共同体)
EUサミット
委員会(通称:欧州委員会)
イスラム原理主義
イデオロギー
イラクのクウェート侵攻
イラン・イラク戦争
イラン革命
インターナショナリズム
インドシナ戦争
印パ紛争

ウィーン体制
ウイルソン
ウェストフアリア条約
ヴェトナム戦争
ヴェルサイユ条約
ヴェルサイユ体制
ウオーラステイン
ウルグアイ・ラウンド

永久平和のために
栄光ある孤立
永世中立国
APEC(アジア太平洋経済協力会 議)
ASEM(アジア欧州連合首脳会富削
 AU(アフリカ連合)
SDl(戦略防衛構想)
エスニシティ
NIEO(新国際経済秩序)
NGO(Non-Governmenta Organization)
FAO(国連食粗農業機関)
EFTA(欧州自由貿易連合)
OAPEC(アラブ石油輸出国横柄)
 欧州安定化条約
欧州共通市民権
欧州共通の家構想
欧州共同体(EC)
欧州経済地域(EEA)
欧州通貨制度(EMS)
欧州通常戦力(CFE)条約
欧州連合(EU)
EEC(欧州経済協力機構)
ECD(経済協力開発機構)
 AS(米州機構)
AU(アフリカ統一機構)
SCE(欧州安全保障協力機構)
 沖縄返還
オゾン層の破壊
オゾン層保護のためのウィーン条 約
オゾンホール
オタワ・プロセス
PEC(石油輸出国機構)
温室効果ガス

カーE.Hノ
カーター
会計検査院
外交(dipmaCy)
外交特権
開発独裁
開発途上国
カイロ宣言
化学兵器禁止条約
核拡散防止条約(NPT)
核軍縮
かけがえのない地球
カストロ
片面講和
GATT(貿易と関税に関する一般協 定)
ガルトウング
カルドーゾF.Hノ間接的暴力
カントlノカンボジア内戦
官僚政治モデル
危機の二十年
気候変動枠組み条約(地球温暖化防 止条約)
北アイルランド紛争
北大西洋条約機構(NATO)
 キプロス紛争
キューバ危横
旧ユーゴスラヴィア内戦
共産主義
共通外交・安全保障政策
共通農業政策(CAP)
京都会議議定昏
拒否権
ギルピン
キングストン
キンドルバーガー
クーデター
グラスノスチ
グラント・エレメント
クルド人問題
グローバル・ガバナンス論
グロティウス
軍事監視団
軍備管理
経済社会理事会
ゲーム理論
ケナンGノ
ケネディ
ケベック州独立間題
現実主義
建設的棄権制

公海自由の原則
構造主義
構造的暴力
後発発展途上国(LLDC)
合理的行為者モデル
交流主義
国益(Nationallnterest)
国際海洋法裁判所
国際慣習法
国際機構
国際刑事裁判所(lCC)
国際公務員
国際司法裁判所(lCJ)
国際人権規約
国際体制論(国際レジーム論)
国際統合理論
国際法
国際連合
国際連盟
国際連盟規約
国際労働機関(lLO)
国民
国連開発の年
国連海洋法条約
国連環境開発会議(UNCED・地球サ ミット)
国連環境計画(UNEP)
国連キプロス平和維持軍
国連緊急展開軍(UNEF)
国連軍
国連工業開発棟関(UN旧)
国連事務局
国連人権高等弁務官事務所
国連大学(UNU)
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) 
国連難民条約
国連人間環境会議(UNCHE)
国連の平和維持活動(PKO)
国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)
 国連貿易開発会議(UNCTAD)
 固定為替相場制
コへイン
個別的安全保障
コメコン(経済相互援助会議)
ゴラン高原
ゴルバチョフ
コンゴ動乱
コンドラチェフの波

裁判所(欧州司法裁判所)
最貧国
砂漠化
砂漠化防止条約
サミット
サラエヴオ事件
SALT
三国協商
三国同盟
年戦争
酸性雨
サンフランシスコ講和条約
GHQ
G
GATTウルグアイ・ラウンド
CSCE(欧州安全保障協力会鴻)
自衛権
自衛隊
シオニズム
資源ナショナリズム
市場統合
持続可能な開発
実質事項
児童の権利条約
司法・内務(啓察)協力
事務総長
社会主義
自由主義
重商主義
囚人のジレンマ
従属論
集団的安全保障
柔軟反応(対応)戦時
自由貿易
自由貿易体制
シューマン・プラン
ヵ条の平和原則
主権
主権国家(アクター)
ジュネーブ
ジュネーブ会談
蒋介石
常設国際司法裁判所
常設連盟事務局
常任理事国
条約
植民地
女子差別撤廃条約
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新現実主義
新国際経済秩序
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人種差別撤廃国際条約
新植民地主義
新制度主義
信託統治理事会
新デタント
新日米安保条約
信頼醸成措置(CBM)
森林原則宣言
新冷戦

垂直的分業
水平的分業
スエズ運河
スカルノ
START
スターリン批判
スナイダー
スナイダー・モデル
スピル・オーバー(sp=一OVer)仮 説
スプラトリー諸島(南沙諸島)
スミソニアン体制
スリランカ民族紛争
スンケル.
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成長の限界
制度主義
政府開発援助(ODA)
生物多様性保護条約
政府内政治モデル
勢力均衡論
セーフ・ガード
世界遺産条約(世界の文化造産およ び自然遺産の保護に関する条 約)
世界恐慌(大恐慌)
世界銀行
世界システム論
世界人権宣言
世界貿易機関(肌汀)
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全会一致制
戦間期
戦争と平和の法
専門機関
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相互依存論
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 対人地雷全面禁止条約
大西洋憲章
 m
第二次世界大戦
太平洋戦争
第四次中東戦争
代理戦争
大量報復戦略(ニュー・ルック戦 略)
多極化
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多国籍企業
多国籍軍
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多中心主義
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チキン・ゲーム
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中国代表権問題
中心一周辺理論
中ソ対立
中東戦争
長期循環論
朝鮮戦争
朝鮮特需
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帝国主義論
DAC(開発援助委員会)
デタント
手続き事項
鉄のカーテン
デモクラティツク・ピース論
ドイッテュ
東欧革命
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 東南アジア非核地帯条約
特別引出権(SDR)
トラテロルコ条約
トランス・ナショナルな関係
トルーマン宣言(トルーマン・ドク トリン)
ドロール
ナイ
ナゴルノ・カラバフ紛争
ナショナリズム
ナセル
ナチス
NAFrA(北米自由貿易協定)
南極条約
南南問題
南北問題

NIES
二極化(両極化)
ニクソン・ショック
二次元ゲーム(TwoleveIsgame)・ モデル
日独伊三国軍事同盟
日米安全保障条約
日米構造協譲
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日清・日露戦争
日ソ共同宣言
日中共同声明
日中平和友好条約
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ニューヨーク
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ネール
ネオ・マルキシズム
ネオ・リアリズム
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ノーベル平和賞
ハーグ
ハース
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ハイ・ポリティクス
覇権安定論
覇権国・大国・準周辺国・周辺国
 覇権循環論
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パックス・アメリカーナ
発展途上国
パットナムR.
パネル
バルト三国
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パワー
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非同盟主義
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ブッシュ
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プラザ合意
プラハの春
フランクA.G.
フランケル
ブリュッセル条約
フルシチョフ
「フルトン」演説
ブレトン・ウッズ協定
プレピッシュ報告
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分担金
文明の衝突
平和維持軍(PKF)
平和五原則
平和十原則
平和のための結集決議
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ベーシック・ヒューマン・ニーズ
 ベリンダバ条約
ペルソナ・ノン・グラータ
ベルリンの壁
ベルリン封鎖
ペレストロイカ
変動為替相場制(フロート制)
ホー・チ・ミン
北緯度線
北緯度線
保護主義
保誰貿易
保障措置協定(SA)
ボスニア内戦
ポツダム宣言
ホットライン
マーシャル・プラン(欧州経済復興 計画)
マーストリヒト条約
マクマホン宣言
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マルクスカール
マルクス主義
マルタ
満州事変
ミトラニーD.
民主化
民族自決主義
民族主義
民族紛争
メッシナ会鴻
モーゲンソーH.Jノモスクワ外相会談
モスコー宣言
モデルスキー
モノカルチャー的経済構造
モルグヴィア自治共和国
モントリオール鴻定昏
モンロー主義
ヤルタ会談
ヤング
UNDP(国連開発計画)
ユートピアニズム
ユーロ
UNICEF(国連児童基金)

輸入代替工業化
UNESCO(国連教育科学文化機 関)
ヨーロッパ議会
抑止
ラウンド
ラセット
ラムサール条約(特に水鳥の生息地 として国際的に重要な湿地に関す る条約)
ラロトンガ条約
リアリスト
リアリズム
リージョナリズム
リカードの比較生産費説
理事会(通称:EU閣僚理事会)
理想主義
-[[リベラリズム]]
領域
領海
リンケージ・ポリティクス
累積債務問題
ルーズベルトFノルーブル合意
ルクセンブルクの妥協
ルワンダ内戦
冷戦構造
レーガン
レーニン
歴史の終焉
レジーム論
レバノン内戦
連携協定
連盟総会
連盟理事会
ローズノウ
ロー・ポリティクス
ローマ・クラブ
ローマ条約
ロストウ
ロストウ・モデル
ロメ協定
ワシントン条約(絶滅の恐れのある野生動植物の種のに関する条約)
ワルシャワ条約機構
-湾岸戦争

グッドガバナンス(良い統治)と所得

「良いガヴァナンス」と所得水準

-世界銀行における「ガヴァナンス」概念
–「ある国で権威が行使されるときに依拠する伝統と制度」、つまり国家が権威的な政策を執行するときの権力行使の枠組みのことである。そして、その伝統と制度には、①「政府が選ばれ、監視され、交代させられる過程」(選挙制度)②「健全な政策を効果的に作成し、執行する政府の能力」(政策過程)③「市民と国家との間の経済・社会的相互関係を支配する制度に対する市民と国家それぞれの尊敬の度合い](政治文化)が含まれる。
 このガヴァナンス概念は、政経分離の原則に立つ世界銀行が、アメリカが「人権」外交の強化の一環として、世界銀行に「政治的コンディショナリティ」、つまり民主化条件に基づく途上国支援を強く要請してきたことに抵抗しきれずに、1992年に発表したものである。世銀としては、規定上あくまでも政経分離の原則を堅持しなければならないし、しかしアメリカの圧力をも強く惑じないわけにもいかず、そのジレンマから生み出したものが政府バフォーマンスを評価する指標としての「ガヴァナンス」である。

 「ガヴァナンス」を評価する際に、前述の「選挙制度」「政策過程」「政治文化」の3項目に各2つの測度が設定される。それぞれの測度は、複数の指標のクラスターから構成される。
 選挙制度は「異議申立てと説明責任」と「政治的安定性」の測度、政策過程は「政府部門の有効性」と「規制政策の質」の測度、政治文化は「法の支配」と「腐敗防止」の測度、というように合計6つの測度が設定される。
 「異議申立てと説明責任」は、政治過程、市民的自由、政治的権利を測定する指標から構成されるが、マスメディアの役割の評価も重要な指標として盛り込まれている。「政治的安定性」は、政府がテロを含む反憲法的もしくは暴力的な手段で不安定なものにされるか、あるいは打倒される可能性の指標である。選挙制度全体の指標は、政策の継続性に直接影響を与えるだけではなく、政権を担う人々を平和衷に選出し、そして交代させる市民の能力を損なうような政治変動の可能性を測定するを意図している。
 「政府部門の有効性」とは、公共サービス供給の質、官僚制の質、公務員の能力、政治的圧力からの文官の独立性、政策を一つにまとめることに対する政府関与の信頼性の指標からなる。この測度は、良い政策を作成・執行し、かつ公共財を供給することのできる政府の入力サイドに関連するものである。「規制政策の質」は、市場経済に対する規制の適切さを測る測度である。例えば、価格統制や不適切な銀行指導など市場経済の原則を損なうような介入が行なわれていないかどうか、貿易や経済開発などの分野に過剰な規制を加えていないかどうかが測定される。
 「法の支配」は、政府機関が社会の規則を信頼し、それを遵守する程度、公正かつ予測可能な規則が経済的・社会的相互関係の基礎となるような環境を発展させる社会の成功の度合いを測定する測度である。暴力・非暴力の犯罪発生率、司法の有効性と予測可能性、そして契約の強制力が具体的には測定される。
 「腐敗防止」とは、公権力を私的利益のために活用すると定義される腐敗の程度の測度である。この測度の指標は、データ・ソースによって内容が多岐にわたっているが、一般的に、贈賄する立場にある者(市民・企業)と収賄する立場にある者(公職者)の双方が彼らの相互関係を支配し、ガヴァナンスの失敗の基準を定める規則に対する尊敬の欠如の測定である。

 世界銀行は、これらの測度に基づき175カ国のガヴァナンスを測定して、「1人当たりの所得とガヴァナンスの質」に関して次のような統計的な知見を導き出した。①良いガヴァナンスからより高い1人当たりの所得への強い正の因果的効果が存在する。②1人当たりの所得からガヴァナンスヘの因果的効果に関しては弱い相関、かつ逆相関が観察される。
 このようにして、良いガヴァナンスを達成すれば、高い国民所得をもたらされるということを統計的に導き出した。

 では、ガヴァナンスと所得水準の間にはどのような関係があるのか。「良いガヴァナンスは高い所得水準をもたらす」という知見は、韓国、シンガポール、中国といった国家はその高い規律性、つまり「アジア的価値」ゆえに経済成長をもたらすという主張に対する反証となる。しかし、この知見には、「因果的効果」としている点で疑問が生ずる。「因果的」であるためには、良いガヴァナンスが原因となって高い国民所得という結果をもたらし、その逆ではない、という結論にならなければならない。しかし、良いガヴァナンスと高い国民所得との関係は、あくまでも「相関」が高いというにとどまるのであり、それらは決して因果的な関係があるとまではいえない。

 世界の民主化の推進を目的とし、毎年、各国の自由度を測定している「自由の家」では、政治的権利と市民的自由の2つの測度を用いて各国の自由度を評価している。そして、①政治権力が定期的に行なわれる自由かつ公正な選挙を通して競争する政党間で争われる、②与党は選挙で野党になる可能性がある、という要件を満たしている国家を「選挙民主主義国」と定義する。

 2002年現在、世銀による国民所得別国家の分類によれば、188カ国のうち最も数の多いのは低所得国63カ国、次いで下位中所得国53カ国、高所得国38カ国、そして上位中所得国34カ国の順である。
 ここで、「選挙民主主義」と「良いガヴァナンス」が同じ意味であると仮定した場合、「良いガヴァナンスが高い所得水準をもたらす」というの知見は支持されない。というのも、低所得国63カ国のうち3分の1にあたる27カ国が選挙民主主義国となってしまい、そのなかには「自由国」と評価された国が7ヵ国もあり、とうてい良いガヴァナンスが高い所得をもたらすとはいえない。さらに、その7カ国のうち6カ国が債務に苦しんでいる。低所得国で選挙民主主義と判定された27カ国中の19カ国が債務に苦しみ、約半数の14カ国が重債務国となっている。同じく非選挙民主主義と判定された36カ国のうちで30カ国が債務に苦しみ、20カ国が重債務国である。非選挙民主主義国のほうがガヴァナンス度が低いが、だからといって選挙民主主義国のほうがそれは高い、とはいいきれない。下位中所得国の場合には、選挙民主主義国も非選挙民主主義国も債務の状況にはほとんど差がないのである。
 このように、低所得国でも自由民主主義の体制は可能である、といえるにすぎない。民主主義であることは、良いガヴァナンスを保証していないのである。

 世界銀行のガヴァナンス評価を所得水準と選挙民主主義ごとにみて、それぞれの所得水準ごとに比較すると、どの測度に関しても高い所得の国ほどガヴァナンス評価が顕著に高い。 しかし、各所得水準ごとに選挙民主主義国と非選挙民主主義国の評価の平均をみると、高所得国ならびに上位中所得国では、いずれも選挙民主主義国のガヴァナンス評価が非選挙民主主義国のそれよりも高くなっている。他方、下位中所得国ならびに低所得国では、両体制間の評価の差はほとんどない。所得水準が「政府部門の有効性」の結果であると仮定したとしても、同一所得水準内でも、非選挙民主主義国の評価は、選挙民主主義国のそれよりも劣る。
 つまり、ガヴァナンス評価は、各国の所得水準の結果である可能性が高く、①高所得国と上位中所得国のような経済的に豊かな国の場合、選挙民主主義体制を機能させる条件が整っている、②下位中所得国ならびに低所得国は、選挙民主主義体制を機能させる条件に恵まれていない、という結論が導き出される。
 所得水準が選挙民主主義体制を機能させる条件となるかどうかを観察するために、選挙民主主義国を所得水準別に比較した場合、上位中所得国は、高所得国の選挙民主主義国と非選挙民主主義国との間の差よりも、高所得国の選挙民主主義国の評価に対して小さい差を示している。しかし、下位中所得国と低所得国のそれは、経済的豊かさが民主主義体制の機能にとって必須の条件となっていることを示す。とりわけ、海外の投資家が投資対象国の投資条件の―つとして重要視するカントリーリスクを示す指標となる「政治的安定性」である。政治的安定性は、所得水準が高いほど高く、低いほど低くなる。一般的に、経済的貧困は最も有力な政治の不安製化要因となるのである。

 「東アジアの奇跡」の代表例として言及されるシンガポールとマレーシアの両国は、政治的批判に対してある程度は寛容ではあるものの、実態は権威主義的体制であり続けるとみなされている。シンガポールは、「異議申立てと説明責任」と「規制政策の質」で高所得国の平均を下回るものの、他の指標では平均や日本のそれを上回っており、「政府部門の有効性」と「腐敗防止」では、高所得国のなかでもトップクラスの高い評価を得ている。一方、マレーシアでは、「法の支配」を除く他の指標では、同一の所得水準の平均を下回る低い評価を得ており、マレーシアの評価は著しく低い。
 良いガヴァナンスと民主主義は一致しない可能性があり、ある種の「良い」ガヴァナンスは、豊かな経済生活を達成する可能性があること、同じ「アジア的価値」の社会でも、民主主義的体制であるかどうかは別として、「良い」ガヴァナンスでない国は所得水準が低いこと、そして「良い」ガヴァナンスと高い所得水準との間の相関は確認されるものの、その相関は因果関係としてではない「関係」でしかないということがいえる。

イデオロギーの終焉

ベル

「イデオロギーの終焉」論は1950年代のなかば頃から,D.ベルの『イデオロギーの終焉』The End of Ideology(1960),R.アロンの『知識人たちの阿片』L’Opium des intellectuels(55)などによってアメリカやヨーロッパの一部の知識人が主張したもので,科学技術の進歩が生活水準を向上させ,資本主義と共産主義との体制間に基本的な差がなくなったためにイデオロギーが果す現実的役割が消滅したという見方。