水とダイヤモンド:パラドックス

水とダイヤモンドのパラドックス(逆説)

水は人が生きていくにはなくてはならない重要なものだ。一方、ダイヤモンドは美しいけれど
も、必要不可欠なものではない。ところがそんなダイヤモンドがたいへん高価で、水は安価というのはなぜか?

* 『国富論』を著したアダム・スミスは価値には①使用価値と②交換価値があると考えた。
* 使用価値
o 使用することによって得られる便益の大きさを表す。
* 交換価値
o 取得に必要となった費用、とくに労働量の大きさを表す。

-スミスの考えは、デビッド・リカードにより引き継がれたが、理論思考の強いリカードは、価値の基準として交換価値の方が明確であると考え、「労働価値説」を創りあげた。
-つまり、ダイヤモンドの価格が高いのは、ダイヤモンドを掘り出して加工するのに多大なる労力が必要なのに、水は天から降ってくるので労力はいらない。だから、ダイヤモンドは高価で、水は安価なのか?

-ダイヤモンドは鉱脈を見つけるだけでも大変な労力が必要となる。しかし、単に費やした労力だけでは価格を説明できないものがある。
-CPU 100万ギガヘルツ、ハードディスクの容量1億テラバイト、搭載メモリ1000億バイトのとてつもないパソコンを作ろうとすれば、計り知れないほどの費用がかかる。このパソコン、星の数ほどお札を積んでも足らない費用に相当する労力がかかるが、値段もそれと同額というわけにはいかない。実際には売り物にならない。値段を設定しても、それはお飾りにすぎず、買い手がつかない。
-クリスタルで作った弁当箱なんてモノも、きっと製造に労力はかかっても、買い手は見つからず、価格はつかない。
-ピカソのような画家がほんの5分ほどで描きあげたデッサンの価格は高価である。

-絵画や骨董品などの価格が労働価値説では説明できないことは、リカードも十分理解していた。
–そのために労働価値説は、価値の90何%かしか説明できないとも言われていた。モノの価格は、それを作成、取得に必要となった費用だけでは説明できない。

* 需要と供給で価格は決定される

-リカードが捨てた使用価値の考え方を改めて発展させたのが、マーシャルやジェボンズ、ワルラスといった今日近代経済学革命を起こしたといわれる経済学者たち。彼らが指摘するように、モノの価格は需要の強さ(=使用価値の大きさ)と供給の強さ(=交換価値の大きさ)の相互作用によって決定される決まる。
-重要な点は、人々の欲求に対してどのくらいモノが豊富に人手可能か、言い方を換えるとモノはどのくらい希少であるかにより価格が決まるということ。ダイヤモンドの場合には、人々が欲しがるほどにはモノは簡単に入手できないために非常に高価となり、水の場合には人々が生命活動を維持するために必要とする量を比較的容易に入手できるために安価となる。

-例えば砂漠のど真ん中に立っている自分の姿を想像した場合。照りつける太陽の下では、生命活動を維持することが第一なので、水に対する欲求(=需要)が強くなるが、水は手に入らない。そこへ水売りがやってきたら、きっとダイヤモンドをいくら手放してもいいから水を買おうとする。

-希少性の程度は需要と供給の相対的な大小関係により決まり、希少性が高いモノほど価格は高くなる。
-これが経済学の基本原理、需要・供給の理論。

ドイツとEU経済

第10章 ドイツとEU経済 ― 統合のパートナーから主導国へ
1.ドイツ経済の特徴
■現代ドイツの概要
・ 国土35万平方キロ(ヨーロッパ4位)。1999年、人口は8209万人(EU15の21.8%)。GDPは約2兆ユーロ(EU15の25%、ユーロ域11カ国の32%)
・ 保革の政権交代が行われ、西欧随一の国際競争力を保ちながら、しかも社会保障が行き届き、企業は従業員を重視する(ライン型資本主義)、バランスの良い制度・政策を実現してきた。

■社会的市場経済と物価安定―経済政策の理念と実践
「社会的市場経済」…自由な市場経済を基本原則としながら、他方で国家政策によって市場を補完し、最適な社会状態をめざす。
【イデオロギーとして役割】①中央統制経済に反対して市場経済の効率性を強調することで、ナチス経済と東ドイツの共産主義の双方を同時に批判できる。②市場の万能性を強調する傾向をもつ英米流の「自由放任主義」を批判することとなり、西ドイツの独自性を主張できる。

<輸出依存の経済成長>…財の輸出がGDPに占めるシェアは1990年代末で約26%。
<物価安定の原則>…社会的市場経済の思想は、物価安定を重視。

■銀行主導のコーポレート・ガバナンス(企業統治)
・ 企業統治において、銀行の果たす役割はきわめて大きい。銀行は企業経営に深く関わり、金融情報を提供し、経営にアドバイスを行う。
・ 中小企業の役割が大きい。
・ 「ドイツ・日本型」(ライン型資本主義)…メイン・バンク制,間接金融型で,経営者・株主だけでなく従業員の利害をも重視し,終身雇用,小さい賃金格差,従業員との協議による経営,愛社精神などを特徴としている。格差の小ささが共同体意識を生み,社会は安定している。
・ 「米英型」(アングロサクソン型資本主義)…金融市場依存型(直接金融型)。株主(share holder)の価値を最上位に置き,株主が気に入らない経営者は罷免されるので,経営者は常に株価を最重要視せざるをえない。業績が悪化すると,最後に雇用されたものから順にレイオフされ社員は職を失う。

→評価は時代とともに動いており、普遍的にどちらの型が優れているとは言えない。現在は第4次技術革命の時期であり、ライン型諸国でアングロ・サクソン型を取り入れる動きが顕著。
2.1990年代のドイツ経済
■5カ国の比較
・1990年代後半、ほとんどのEU構成国で雇用が増加したが、ドイツだけは減少。
・西ドイツでは労働生産性上昇率が高い製造業就業者の総雇用に占めるウェイトが35%と高い。

■1990年代ドイツの高失業とドイツ経済
<東ドイツの失業と経済の再建>
・ 統一後、旧東ドイツの失業率が急激に増加。→西ドイツとの通貨統一の影響
・ サービス業は発展したが、製造業の発展は抑制された。
・ 生産と消費のギャップを西ドイツからの資金移転によって埋める。
<ドイツの経済成長と失業>
・ 西ドイツにおいても失業は厳しい。
・ 労働市場の硬直性よりも、80年代末~90年代初めの過度好況によるもの。
→1990年代の高失業はドイツ統一と不可分。慢性的な「ドイツ病」というより、西ドイツの過度投資圧力と東の経済崩壊とのダブル効果から生じた。

■経済グローバル化とユーロによる新しい動き
・ ドイツの7つの大企業がニューヨーク株式取引所に上場。株主主導型のコーポレート・ガバナンスを取り入れ、経済グローバル化における競争に備える。
・ グローバル競争とEU域内競争の激化によって、銀行も従来の安定した収入が脅かされるようになった。ユニバーサル・バンク業務から投資銀行業務への転換。競争激化によって吸収合併が進み、銀行数も急速に減少。
・ ベンチャー株式を取引する「ノイア・マルクト」の創設。
・ 直接金融やベンチャーなどアメリカを手本とするコーポレート・ガバナンスへと転換。
・ICT化の立ち遅れに対する対応策をとっている。ICT部門の外国人技術者を最高2万人受け入れる「グリーンカード制」の開始。

3.ドイツとEU統合
■ボン=パリ枢軸
■ドイツと21世紀のEU統合
・ 先行統合…すべての統合分野で「中核諸国」が他のEU諸国に先行し、統合の行き先とモデルを示すことで統合の勢いを維持する。
・ ドイツのフィッシャー外相はEUの連邦案を打ち出す。

■ドイツの中・東欧への進出と東方拡大
・ 中・東欧諸国の経済活性化がドイツに最も有利に作用する。
・ 単一市場が拡大することで、ドイツ以外のEU諸国の企業にとって進出しやすい環境になり、ドイツに対する経済依存度はむしろ低下する可能性もある。
■ むすび

バーリン:消極的自由と積極的自由

18世紀以前の自由主義理論においては,各人がその行為にあたって外部からの干渉を受けない状態が「自由」であるとされていたのに対し,自律としての自由の場合,各人が何らかの行為を選択するその内面的な動捺の合理性が問われている。

-二つの自由にまつわる問題は,アイザイア・バーリンによる『自由論』(1969)において,「消極的自由」と「積極的自由」という概念によって,本格的に論じられる。
–消極的自由
—ある人が,いかなる他者からの干渉も受けずに自分のやりたいことを行い,自分がそうありたいようにあることを放任されている場合に,その人が「自由」であるとみなすという考え方。「○○からの自由」というかたちに書き換えられるもの。
–積極的自由
—ある人が,あれよりもこれを行うこと,そうあるよりこうあることを,自らが主体的に決定できる際に,その人が自由であるとみなすという考え方である。これはまさに,「自律」としての自由,もしくは自分が自分の支配者であるという意味での「自己支配」としての自由である。
—たとえば若いサッカー選手が練習をさぼりたいという誘惑を克服して,Jリーグ入りしたいという自分の夢の実現のためトレーニングに励むとき,彼は積極的な意味で自由なのである。

*積極的自由と国家

-バーリンは積極的自由の観念に対して批判的。
先ほどの例でいえば,つい誘惑に負けてしまう意思の弱い選手を殴りつけてでも練習させる鬼コーチの存在が,選手の積極的な意味での自由にとって必要だ,という論法になりかねない。このような論法が政治や社会のレベルに押し広げられた場合,それは最終的にはきわめて危険な帰結をもたらしかねない。すなわち,判断力の未熟な個人に変わって,国家や階級や民族という個人の上位に立つ全体的な存在が,より合理的な選択肢を個人にあてがうという「自由への強制」という事態にまで進みかねないというのである。こういった事態としてバーリンが想定しているのは,第一義的にはファシズムや共産主義であろう。それとともに彼は,第三世界の新興独立国のナショナリズムや、ある種の福祉国家の構想に対しても,それらが消極的自由を損ないかねないとして批判的である。

積極的自由の観念が,ただちに全体主義的な「自由への強制」に結び付くかどうかは,議論の分かれるところであろう。全体主義への批判という点ではバーリンに同意するとしても,積極的自由と呼ばれる自由の観念が,別の方向に展開していったなら,それは必ずしもバーリンが危惧するようなものとはならないと見る見方もあるからである。リベラルな国家が実際に存続しうるか否かは,結局のところ,それを構成する個人のあり方に左右されざるをえない。そうである以上,自由主義にとって個人の選択能力の問題は簡単に議論の姐上から排除できるものではない。積極的自由が,人間の内面を国家が直接支配するという抑圧的な方向ではなく,個人の選択の外的な条件整備という方向に展開するなら,それは個人の自由をむしろ強化していくことになるのではないか。

一定程度の豊かで健康的な生活や十分な教育が保障されてはじめて,各人は本人の望むような選択を行うことができるのである。こういう見方の登場によって,古典的自由主義は19世紀末から20世紀初頭にかけて大きな変貌をとげることになる。福祉国家型自由主義の登場である。

久米ほか『政治学』(有斐閣)60~

アマルティア・セン:潜在能力アプローチ

**何の平等か?
-ある人の特定の側面を他の人の同じ側面と比較することで、人は平等を判断する。そして、その比較を行う側面には複数の変数が存在する。例えば、所得、富、幸福、自由、機会、権利、ニーズの充足などである。社会制度に関するいかなる規範的理論も、ある何かに関する平等を求めてきた。
-例えば、[[ノージック]]のようなリバタリアンは「権利の平等」を求めた。効用の最大化をめざす[[功利主義]]でさえも、功利主義的目的関数上での各人の効用の増分に対する平等なウェイトづけを要求していると考えれば、平等を求める主張とみることができる。
-だが、人間は外的な状況(たとえば、資産の所有、社会的な背景、環境条件など)にも内的な特質(たとえば、年齢やジェンダー、健康状態、一般的な力量があるか、特別の才能があるか、など)は多様であるため、仮に複数ある変数の一つの平等を達成したとしても、その周辺部とみなされる他の変数の不平等に関しては受け入れなければならない。特定の側面の平等が他の面での不平等を正当化するということが、すべての平等論に共通の構造になっているのである。
–たとえば、ある種のエンタイトルメントに関して等しい権利を要求するリバタリアンは、権利の平等と同時に所得の平等を要求することはできない。効用のどの一単位にも等しいウェイトを与える功利主義者も、矛盾することなく自由や権利の平等を要求することはできない。
-そこで人間の多様性を前提として、各人に属する「何が」平等であるべきかが中心的問題となるのである。配分的正義の理論は、社会を構成する人々の間に存在する不平等を指摘し、その是正と解消の方策を探ろうとする思想上の努力である。この「不平等(不正義)」の存在をどのように確定し評価するのか、つまり「何が不平等なのか」の認識・評価基準をめぐって議論が生ずるのであり、採用された基準しだいで、ある現実が不平等とされるのか否か、またそれがどう是正されるべきなのか、の結論が異なってくる。「なぜ平等でいけなければならないか」という問いは、「何の平等か」に比べれば、重要ではなく、問われるべきは、「何の平等か」である。
-センは人々が「潜在能力」(ケイパビリティ)の平等こそが重要であると主張する。

**潜在能力アプローチと自由
-「潜在能力」とは、人が選択できる様々な「機能」の組み合わせを意味している。ここでいう「機能」とは、ある人が価値を見出すことの出来る様々な状態や行動である。たとえば、「十分な栄養を得ている」「避けられる病気にかからない」という基本的なものから、「コミュニティーの生活に参加する」「自尊心を持つ」というものまで多岐にわたる。「潜在能力」とは、「機能」のベクトルの集合からなり、何ができるのかという範囲を表している。そして、個人の福祉を「達成された機能」ではなく、「達成するための自由」で評価しようというのが、「潜在能力アプローチ」である。福祉を潜在能力によって捉えることの妥当性は、二つの相互に関連した考え方から成り立つ。
++「もし『達成された機能』が人の福祉を構成しているとすると、潜在能力(すなわち、ある個人が選択可能な機能のすべての組み合わせ)は、『福祉を達成するための自由(あるいは機会)』を構成している」という考え方。すなわち、潜在能力は、ある個人が福祉を達成するための手段(自由)をいくら持っているかを示すのである。しかし、手段に過ぎないということはできない。「自由」というものは、善き社会構造にとっては手段としてだけではなく、本質的に重要なものとみなされるべきである。
++「選択するということは、それ自体、生きる上で重要な一部分である」という考え方。重要な選択肢から真の選択を行うという人生はより豊かなものであるとみなされている。少なくとも特定のタイプの潜在能力は、「達成された成果」すなわち福祉に直接結びつく。選択の自由は、人の生活の質や福祉にとって直接重要なものである。
-「潜在能力」に含まれる「機能」は、単に実現されたものだけではなく、潜在的に実現可能なものまで含まれる。何をすることが可能かを示しているために、それは人々の自由の程度を示す指標でもある。経済発展とは選択可能な「機能」の幅を広げていくことであり、それは、自由の程度を増すことである。

**潜在能力アプローチの優位性
-厚生経済学で用いられている功利主義の価値概念は、快楽や幸福や欲望といった心理状態で定義される個人の効用にのみ究極の価値を見出す。そして、規範理論としての功利主義は効用の個人間比較を前提としている。しかし、すべての機能を効用に貢献する限りにおいて評価してしまうことは、重要な情報へのチャネルを失っている。
-まず、幸福であるとか欲望を持つということは主観的特性であって、客観的な有様(例えば、どれほど長生きできるか、病気にかかっているか、コミュニティの生活にどの程度参加できるか)を無視したり、それとかけ離れていたりすることが十分にあり得る。
-主観的概念としてみても、効用は主観的評価ではなく感情に関わる概念だということにある。人の評価もまた主観的ではあるが、それは内省と判断に基づくものであって、その点で、幸福や欲望とは異なっている。これと対照的に、「潜在能力アプローチ」は機能の客観的特徴に注目し、これらの機能を感情ではなく評価に基づいて判断するものである。
-また、困窮状態を受け入れてしまっている場合、願望や成果の心理的尺度ではそれほどひどい状態には見えないかもしれない。長い間、困窮した状況状態に置かれていると、その人は嘆き続けることをやめ、小さな慈悲に大きな喜びを見出す努力をし、自分の願望を控えめな(現実的な)レベルにまで切り下げようとする。実際に、個人の力では変えることのできない逆境に置かれると、その犠牲者は、達成できないことを虚しく切望するよりは、達成可能な限られたものごとに願望を限定してしまう。このように、個人の困窮の程度は個人の効用の尺度には現れないかもしれない。こういった、固定化してしまった困窮の問題は、不平等を伴う多くのケースで、特に深刻になる。例えば、階級や共同体、カースト、ジェンダーなどの差別の問題にあてはまる。さらに、「潜在能力アプローチ」では個人が実際にどれだけの自由を享受できているかを評価することが可能なため、「飢え」と「断食」は効用アプローチでは同じと評価されてしまうが、「潜在能力アプローチ」では重大な差異を見る。すなわち、その個人が他に選択肢がなく飢えているのか、それとも他の選択肢があって、あえて飢えているのか、大きな違いを見いだすことができる。

**潜在能力アプローチが提起する望ましい社会
-豊かさ=経済成長(および所得)ととらえれば、森林を伐採し、過剰な開発を行うことによって達成できるかもしれない。だが、それは持続可能ではないし、とても豊かになったとは実感できまい。これは途上国のみならず、先進国にも言えることである。所得という「変数」だけに注目してしまうと、他の重要な「変数」(例えば、自然環境や文化・伝統など)を無視してしまいかねない。
-所得水準が十分かどうかは、潜在能力の水準によって判断されなければならない。女性や高齢者、身体障害、病気など所得を得る能力を低下させるハンディキャップが同時に所得を潜在能力に変換することをも一層困難にしている。先進国の潜在能力の欠如はそのようなハンディキャップを伴っていることが多い。
-潜在能力の向上ないしは平等という観点から、女性に負担のかかっていた育児・介護といった家事機能をシェアするシステムの必要性もあろう。あるいは、仮に所得が多くても、医療が荒廃していたり、社会保障制度が不十分である場合、病気・障害による潜在能力の欠如をより大きなものになってしまう。経済成長を至上の目標にすることではなく、人間の潜在能力を高めるための政策が必要なのである。

ベーシック・インカムと環境問題

トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ― ベーシック・インカム論争』
∟ 第9章 エコロジズムとベーシック・インカム

9.1 育成される市民
■エコロジズムによる市民権
・ 現在の種において知覚された地位と未来の種において知覚された地位間の平等化、と定義される。
・ 人類には(人類および人類以外の)未来の世代の福祉を保証するための強い義務がある。
・ 政治共同体は地球単位の世代間関係のなかで定義される。
→諸個人は自らを自然環境の自覚的な保護者・後見人と考えるべき。自然環境は個人の所有物ではないが、個人の生活は自然環境が存在することによってはじめて可能となる。

9.2 崇高な解釈Ⅲ
■福祉国家に対するエコロジストの3つの批判
① 福祉国家は「産業主義の論理」に由来するとともに、それを支持している
・ 有限な世界のもとでは、成長の限界が存在するので、福祉国家は持続可能ではない。
・ 福祉国家は、社会問題の原因ではなく症状を扱う、福祉の治療的なシステムにすぎず、有効性に乏しい。

② 福祉国家は雇用倫理に依存している
・雇用倫理の2つの想定
1. 不安定で変動を繰り返す資本主義市場を、伝統的な核家族をしじすることによって、補正できる。
2. 仕事は、収入や地位を分配するうえでの主な手段であるべき。
・ 失業は雇用に執着する社会にもたらされた帰結。エコロジストは、雇用の重要度を引き下げて、すなわち労働時間を大幅に短縮して雇用を創出することが、雇用による福祉から脱するための必要条件と考える。

③ 福祉国家は消費者-クライアントとしての市民に基づいている
・ 福祉とは、組織の規則や基準を観察し、それに従うことを通して稼得された物質的な豊かさであるという考え方に行きつく。
・ 個人的な価値を物質主義的な尺度によって比べるべきだとする共通の本能に帰着する。

9.3 社会保障
・ 社会的公正とは、雇用水準の増加や環境に無配慮な成長ではなく、現在の雇用水準を凍結して現在の雇用を再分配することを意味する。
・ 雇用倫理の強調をやめて、雇用を生活の中心から外していくべき。

9.4 エコロジストにとってのベーシック・インカム
■BIの3つの利点
① BIには、経済成長の鈍化を促進する潜在能力がある。
・ 経済成長は財のプラスの効果を帳消しにするような「不良品」も生み出している。
・ BIは、無条件であることによって、拠出と給付の結びつきを切断し、GDPの成長に対する理論的根拠を弱める。
・ 職歴や地位と無関係に支給されるため、雇用倫理を弱体化させ、この倫理を正当化する生産主義の想定を弱体化させる。

② 共有の倫理を具現化する
・ 社会の富は、(a)自然資産、(b)経済的・技術的遺産、(c)現在の労働者/拠出者の相互努力の3つがある。(a)(b)は共同所有物であるから、そこから得られた富の一定割合を、無条件に分配すべきである。
・ 現在の移転システムは、環境破壊的な成長に最も貢献した者に最も多くの物を与えるが、BIは共有制平等主義を表現化し具現する。

③ BIは貧困と失業の罠を軽減できるので、パートタイム労働や低賃金労働が魅力的になる。

■BIを支持したがらない3つの理由

① BIが未来のエコロジカルな社会における役割を果たす可能性はあるが、その社会に導く力は弱い。
・ 緑の社会と経済に達成するためには、大衆意識を大きく変革し、制度を再編することが必要になるが、BIは既存の価値観、想定、習慣を強固にするだけである。
・ エコロジストの反物質主義と、BIの財源を調達するために高水準の物質的豊かさが必要であるという事実が矛盾を来す。

② BIによって、「労働社会」を退出し、他の活動を追求することが可能になるが、それが環境にやさしいという保証はない。

③ 環境保護派が望む分権化と、BIは中央集権的に運営せざるをえないという事実は矛盾する。

9.5 緑の政策パッケージの一部としてのベーシック・インカム

■ジェームス・ロバートソンと環境税の擁護
・BI達成が導入されると3つの機能が遂行される…
① 諸資源の共同所有権が確保される。
② 第3セクターの非国家・非市場による社会的経済が促進される
③ 環境税の逆進性の緩和
・環境税がBIとセットで導入されるときのみ、上記の目的が達成される。

■アンドレ・ゴルツと労働時間短縮の擁護
・ 公正な社会とは、必然性の領域で費やすことが求められる時間が最も短くなり、自由の領域で費やすことの時間が最も長くなった社会。この目的を達成するために、労働時間の短縮とBIの導入を提言。
・ 過剰な雇用労働に従事する者と不十分にしか従事していない者がおり、その不均衡を是正するためには、就労可能な人すべてに最低労働時間だけ働くことが要求される。
・ ゴルツの想定する社会ではBIは2つの機能を果たす…
① 雇用労働が所得の主要な源泉ではなくなり、BIは「差額を補填する」第2の小切手になる。
② 最低労働時間の労働を行わなかったり拒否すると、BIの受給権は剥奪される。
・ 反対論もあったが、エコ社会主義者の提案に労働時間の短縮とBI改革が含まれるとの考え方を確立した。

■クラウス・オッフェとインフォーマル経済の擁護

・ BIは(インフォーマル経済と「協働サークル」の成長を促すための)政策パッケージの一部となるときにはじめて大きな力を発揮する。
・ 「協働サークル」のモデルは、集合的供給が市場の形態で組織されることを提案している。それには2つの条件がある…
① サービスの交換は貨幣メディアを介して行われるのではなく、サービス・バウチャーを介して行われる。
② 不換通貨の用いられるこの種の市場を維持するために、公的補助が必要。それは財政支援ではなく、空間、設備現物支給、人的資本の提供というかたちをとる。

・「地域における貨幣を用いない交換システム」…例:LETS(Local Employment and Trading System)
・ BIと非貨幣的交換が連携したシステムは、第3セクターにおいて、重要な役割を果たす。二つは相互補完関係にある…賃労働に従事したくない者は、第3セクターにおいて他社と財やサービスを交換する機会が与えられるため、BIに頼る必要がない。日常的に貨幣を用いないで交換を行っている者は状況が変わったときにBIを最後のよりどころにできる。

9.6 結論

ベーシック・インカムとは何か

トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ― ベーシック・インカム論争』
∟ 第3章 ベーシック・インカムの原理

3.1 はじめに

3.2 ベーシック・インカムとは何か
・ ベーシック・インカムの定義が曖昧であり、擁護に就いての選択肢が多すぎる…という問題に直面。

・ 最低所得保障構想
給付の保険/扶助モデルを根本的に改革するか全廃することによって、条件付きか無条件かを問わず、全員ないし一部の市民に対して、最低水準の所得を国家が保障するための提案。
・ ベーシック・インカム
各市民に定期的に無条件で支払われる保障された所得。無条件とは、労働上の地位、雇用の記録、労働意欲、婚姻上の地位とは関係ないことを意味する。完全BI、部分BI、過渡的BIが考えられる。
・ 社会配当、参加所得、負の所得税
BIのイデオロギー的変種。

3.3 いくらくらいかかるのか?
・ 社会保障費に、管理コストや奨学金総額、所得税の控除による歳入の減少分…などを加えると、かなりの額のBIとなる。
・ 以下の2点を考慮…
① 現在の政治的雰囲気は、支出を削減することを目標としている。
② 均一額の給付は所得保障の方法として効率的ではない。
・ 支出可能な所得は部分BIの水準。完全BIを維持するような課税は、ほとんど実現可能性がない。

3.4 ベーシック・インカム小史

① 1770年代から第1次世界大戦まで
② 戦間期
③ ケインズ・ベヴァリッジ時代
④ 現在

3.5 なぜいまなのか?

―過去に傍流に置かれてきたのはなぜか?
・ 「中範囲の効果」
それぞれの望ましい社会的目標を単独で見た時の効果は大きくないが、すべての範囲の目標を考慮した場合には、その効果が大きくなる。

―現在、なぜBIが注目されるようになったか?
・ 消極的な理由
21世紀の福祉国家を近代化する上で重要な福祉改革は、1つや2つの望ましい目標に限定された改革ではなく、すべての範囲にわたる改革である。過去における政策決定の無駄を暴露するから。
・ 積極的な理由
市民権の概念を完全な形で適用するものであるから。従来の保険と扶助の給付は、それぞれ貢献原理と必要原理によって組織されてきた。貢献原理には女性を差別する効果があり、必要原理には統制と監視のシステムを伴うものであった。

3.6 結論

ベーシック・インカム 社会保障

トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ― ベーシック・インカム論争』
∟ 第2章 社会保障の給付と負担

2.1 はじめに
・ 社会保障の給付制度は2つの見出し(①技術的②社会的/道徳的)のもとで議論しなければいけない。
・ 本章では制度の技術論について紹介。

2.2 6種類の所得移転
① 社会保険給付
② 社会扶助給付
→資力付き扶助の賛成論と問題点
③ カテゴリー別給付
④ 自由裁量給付
⑤ 職域給付
⑥ 財政移転

2.3 社会保障の目的
―戦後における3つの発展段階
・ベヴァリッジ的なシステムの成立以前
資力調査付の扶助が極貧者へ所得移転するための手段として用いられた。
・ベヴァリッジ・システム
ベヴァリッジは、①稼得能力の喪失、②稼得能力の不足に陥った時に所得を保障することによって、貧困を防止できると説いた。社会保障が完全雇用経済に寄与することが期待された。
・1965年~
資力調査付き扶助に頼らない状況はなくならないという認識が強まり、資力調査への依存が拡大。

・社会保障の3つの目標
① 労働と貯蓄のインセンティブを著しく損なわないという意味での効率性
② 最も必要とする人へ適正な最低所得を給付するという意味での衡平
③ 運営のしやすさ
・さらに、3つの戦略的な目的 ― ①所得補助 ②不平等の縮小 ③社会統合

2.4 福祉の社会的分業
・ 国家福祉と財政福祉
国家福祉は支出として定義され、増加に対して国民は敏感だが、財政福祉は関心を引く傾向がないため、抑制されにくい。
・ 職域福祉
・ 福祉の性分業
⇒ 金銭移転についての議論は、間接的な形をとる福祉に敏感でなければならない。

2.5 失業と貧困の罠
・失業の罠
稼得と給付の差が小さいために、有給の職に就いても合計所得がそれほど増えない状況。
・貧困の罠
税と移転の効果が合わさったため、稼得が増えても所得全体がそれほど増えない状況。

2.6 租税と移転の再分配効果

■再分配のスナップ写真
・ 直接税としての所得税は、低所得者よりも高所得からより多く比重がかけられるが、間接税などのすべての税を考慮すると、課税の効果は相殺される。
・ 極貧者が受け取ったものは、最も裕福な者から移転されたものとは限らない。

■ライフサイクル的再分配
・ 人生のうちで稼得能力が最も高い時期から低い時期へと所得が再分配される。
・ 生涯にわたって裕福な者と貧しい者との間の全体的な再分配を見ていく必要がある。
→給付の分配をグロスでみると、きわめて均一。ライフサイクル的分配75%、垂直的分配25%。

2.7 ヨーロッパと世界の最近の動向

―1985年~1995年のヨーロッパの改革の傾向
① 就業期間が一般的に長くなった。
② 資力調査の使用を増やす傾向。
③ 民営化へ移行する傾向。
④ 給付を、求職や訓練のような事項に密接に関係させた、積極的な雇用手段へと移行させる傾向。
・ 概して、ヨーロッパ諸国は社会保険料の事業者負担を減らし、保険料よりも税金の方を財源として重んじ、国と地方のあいだの財源調達の責任区分を変えるように努めた。
・ OECD諸国では、扶助がますます重視される傾向。

2.8 結論
・ 貧困と失業の罠に対処するだけでなく、社会保障と税制を統合することによって、福祉の社会的分裂に挑もうとする。
・ 再分配効果がどれくらいあるのかを測定することは困難。再分配効果をはっきりさせることよりも、BIのイデオロギー的な背景を明らかにしなければならない…というのが議論の前提。

現代民主主義論

現代民主主義論

20世紀になると,国による多少の時期の違いはあるものの,民主主義体制は追求すべき理想の体制であるというよりは,すでに実現した,もしくは実現しつつある現実の制度であると意識される。こうしたデモクラシーの現実をふまえて,デモクラシーの意味を問い直した,現代の一連の議論を検討する。

エリート主義的民主主義

第一次大戦での敗北の衝撃に揺れるドイツで,政治家の資質を鋭く問うたヴェーバーの『職業としての政治』(1919)には,20世紀のデモクラシーに対する彼の冷徹な診断が展開されている。ヴェーバーは,宗教・経済・文化といった社会のいたるところで進行する合理化の過程が官僚制化を進展させ,それが政治においては,官僚(公務員)層の決定的優位をもたらしつつあると述べる。こういった状況では,議会の影響力は減退せざるをえない。それはもはや19世紀のイギリスにおけるような,議員の活発な討論を通して政治的意思決定を行う場ではない。その一方で,政党が政治の基本的単位となる政党政治化が進む。政党は,それ自体がもう一つの官僚組織となる危険性をもつが,それと同時に,社会の相反する利益を政党を単位としてまとめあげ,政党間の活発な競争を通して政治のダイナミズムを回復する可能性をもつ。ただし,ヴェーバーのみるところ,政党がそのような方向に向かうためには,強烈なカリスマ性をもつ指導者に率いられる必要があった。

ヴェーバーによれば,政治家に求められる資質とは,自らの信念に従って断固として行動し,自己の行為の結果に責任をもつということである。それに対し官僚に求められる資質は,党派性をもたず,上位者の命令に誠実に従うことである。このような官僚が政治の主役となることに,ヴェーバーは深い危機感をもつ。指導者の本質をなすカリスマ性を欠いた官僚支配を打破するために彼が期待をよせたのは,指導者の道具となって活動する「マシーン」と化した,強力な政党組鰍こ支えられた「指導者民主政」であった。

合理化・官僚制化の行き過ぎた進展を指導者のカリスマ性によって制約するというのが,ヴェーバーの最大の関心であった。そこでは,民主政には,このような強力な指導者を選出し,その正統性を担保する制度という位置づけが与えられる。

デモクラシーを有能な指導者選出のための手段とみなす考えは,20世紀前半の経済学者シュンペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)にもみてとれる。シュンペーターによれば,ルソーが説いたような「人民主権」に基づく民主政は,現実には実現不可能である。大部分の有権者は,自分の日常からかけはなれた国家レベルの問題をしょせん現実味のない遠い世界のものごとと感じており,そのような有権者に公共の利益に合致する決定を合意によって導くよう求めるのは,そもそも無理である。それどころか,人民の意志と称されるものは当てにならないものである。というのも,それは,しばしばコントロールされた結果としての「作られた意志」にすぎないからである。

このようにシュンペーターは,市民の理性能力にはきわめて懐疑的である。こういった市民の政治的判断力への不信は,すでにスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットが著書『大衆の反逆』(1930)で展開したものである。オルテガによれば,近代社会は,理性的な判断能力をもたず,不合理な感情にまかせて容易に大勢に順応する「大衆」を生み出す。このような大衆が政治に参加するとき,デモクラシーは危機的状況に陥る。こういった議論は,大衆民主主義論と呼ばれ,イギリスのウォーラスらも展開したもの。

もっとも,シュンペーターは,人民の能力にまったく期待していなかったというわけではない。人民には個々の政策決定にかかわる能力はないが,そのような政策決定をなす能力をもち,指導者となりうる人材を,選挙で定期的に選ぶ能力ならば十分に備えている。シュンペーターは,民主政治を市場になぞらえて,以下のような図式を描く。すなわち,そこでは,政治家は企業家,市民は消費者であり,市民は政治家が提供する権力という利潤をただ消費するだけである。市場を支配するのは企業家としての政治家なのであり,その意味では,デモクラシーとは「人民の統治」ではなく,「政治家の統治」である。ただし,その場合,政治を志す者たちは,人民の支持を獲得するために厳しい競争にさらされなければならない。民主主義とは,権力獲得の過程に「競争」という原理を導入する一つの方法と見るべきだ,というのである。

ダールのポリアーキー論

第二次大戦後のアメリカ政治学の第一人者となったダールは.デモクラシーの理念ではなくその現実を客観的に分析しようというシュンペーターの方法的自覚を受け継ぎながら,エリートと大衆とを対立させるシュンペーターの二元論を克服しようとした。その際にダールが注目したのは,「集団」であった。集団こそ,孤立した無力な個人と,政治に対して全面的に責任を負うと期待される指導者層の間を媒介する存在なのである。

ダールはまず,デモクラシーの伝統は,政治的平等と人民主権を奉ずる人民主義的民主主義に尽きるものではなく,第4代アメリカ大統領マディソンに発するもう一つの民主主義のモデルがあると主張した。
マディソン的民主主義は,徒党(faction)をうまく利用することに成功した体制である。マディソンによれば,一つの徒党が強大な権力をもつ事態は民主政にとって致命的な結果をもたらすが,複数の徒党同士が相互に牽制しあいつつ競合することは,民主政にとってよい結果をもたらす。
このマディソン的民主主義の伝統は,現代のアメリカにおいては,企業・労働組合・政党・宗教団体・女性団体といったさまざまな利益集団相互の競合と調整というかたちで,着実に受け継がれている。ダールは,著書『統治するのはだれか』(1961)において,1950年代のアメリカ社会のケーススタディを通し,そこではエリート論者が主張するような,一枚岩的なエリート層による政治権力の独占は実際には存在せず,権力はさまざまな利益を代表する複数の社会集団の間で共有されていると結論づける。また,個人が複数の団体に重複加盟することも少なくない。こうした集団間の交渉や連携によって一種の競争的均衡が生じ,市民は集団を通して十分に指導者をコントロールすることができる。その意味で民主政は,少数エリートの統治ではなく,複数の少数集団の統治であるというのである。

ダールはこういったアメリカの現実の民主政を,理想としての完全な民主政とは区別するために,特にポリアーキーと名づけた。ポリアーキーにおいては,ばらばらの個人ではなく,利益をともにする者の間で組織された複数の集団が相互に交渉しつつ,議会における最終的な決定にいたるまでのさまざまな過程に影響力を行使する。選挙や議会における決定という制度的局面の背後でこのような活動が展開していることこそ,アメリカを相対的にはより民主的な政体とする重要な鍵なのである。

このように,利益集団や圧力団体のような自立的集団の活動に注目する議論は,多元主義もしくは多元的民主主義論と呼ばれる。近代社会がさまざまな利害に分裂した多元的社会であるとすれば,利益集団間の妥協によって合意を導くというのは,そのような社会によく適合する民主政の一形態であることは否めない。もちろん,それがうまく機能するのは,個人の利害がいずれかの利害集団に確実に代表されていること,また利害対立が経済的なそれのように,何らかのかたちで妥協可能な比較的穏やかなものであることが,暗黙のうちに前提できる社会においてのみであろう。とはいえ,ダールのモデルは,リベラルな社会における民主政の安定という観点から見れば,きわめて説得力のあるものと受け取られたのである。

ローウィ
-ロウィ『自由主義の終焉』(1969)
–多元的民主主義への包括的な批判。
-1960年代のアメリカで主流となった多元主義に基づく政治の実態は,利益集団間のインフォーマル(非公式)なバーゲニング(交渉)が政治的決定を支配する利益集団民主主義にはかならないと主張した。
-利益集団民主主義の問題点
++民主的になされた意思決定を巧妙にねじまげることで民主政治を堕落させる
++確固とした基本方針を欠いた計画しか策定できないため,政府の権威を無力化する
++一般的な原則や規範原理を欠いているため,正義の問題を考慮することすらできない。++民主主義を支えるフォーマルな法手続きを無視することで民主政治を堕落させる。

-このような批判をもとに,ロウィは法の支配の原則の強化を提言。

-参加民主主義論
–古典古代における人民の直接参加という契機を何らかのかたちで復活すべきだという主張である。参加民主主義は,重要な政治的争点に対する国民投票の積極的な導入や,地方自治体・職場・学校といった小集団における直接意思決定システムの導入といった具体的な方策を提言する。こういった提言を襲づけるのは,積極的な政治参加によって市民が経済的利害に閉じ籠もる偏狭な存在から脱し,公共のものごとにかかわっていこうとするなど,より成熟した存在へと成長していくという期待である。この参加民主主義論の活性化に大きな影響を与えたのが,アーレントの『人間の条件』。

実際の政治過程において参加民主主義のビジョンを積極的に打ち出したのは,1960年代から70年代にかけて盛んになったニューレフトの運動(ソ連を中心とする当時の既存のマルクス主義とは一線を画しつつ,資本主義体制の抜本的改革をめざす運動)であった。多元的民主主義論者とみなされていたダールも企業内の意思決定過程の民主化の必要を唱えるなど,参加民主主義は当時広範な影響力を行使するにいたるが,ニューレフト運動の退潮とともに衰退。

新たなデモクラシーを模索する動きは,1990年代になって再び盛んになった。
規範的政治理論の分野で現在注目を集めているものが,「討議的(審議的)民主主義」と呼ばれるモデルである。
この立場の論者によれば,多元的民主主義論やその後の合理的選択理論においては,政治過程をあたかも市場における財の交換であるかのようにみなす政治観が支配的である。しかしながら,民主的な政治とは,単に諸利益の間のバーゲニングの過程に還元できるものではない。そこに自由で平等な市民の活発な討議(議論)があり,その結果何らかの合意が形成されるという過程が確保されることが決定的に重要だというのである。というのも,討議によってはじめて個人の自由と自律が確実に保障されるからである。たとえば,討議的民主主義論著の一人ガットマンによれば,討議の場に加わらない(もしくはそこから排除されている)市民は,一見自由なように見えても,実際には政治的権威による操作に対しきわめて無力な存在であるむしろ,討議と説得の過程にかかわることで,はじめて個人の自律性は強固なものとなるというのである。その場合,討議的民主主義は,参加民主主義のように市民の政治への直接参加が不可欠であるとはみなさない。現代の代表制の枠組み自体は尊重しつつ,政治家に市民に対する徹底した説明責任(アカウンタビリティ)を確保することでも,討議的民主主義の理念は実現できるとされる。討議的民主主義論はハーバーマスの「理想的発話状況」におけるコミュニケーションの理論の大きな影響下にあるが,ハーバーマスほど討議に参加する者の理性能力を重視しない立場もある。

また,現行の民主主義体制が暗黙のうちに国民国家システムを前提としているというところに批判の焦点を定め,脱国民国家型のデモクラシーを模索する動きもある。こういったデモクラシー論はマルチカルチュアリズム(多文化主義)とも連動し,定住外国人への選挙権や社会保障給付の権利の付与,就労の自由の保障といった新しい要求を掲げる。さらには,一国内部において独立性の高いエスニック集団に広範な自治権を与えたり,マイノリティ集団を単位とする集団代表権の制度を導入したりすべきだという提言も出されている。こういった模索は,フェミニズムやネオ・マルクス主義の一部をも巻き込むかたちで,ラディカル・デモクラシーとも呼ばれる流れを形成した。その一方,国民国家を超える地球大の単位でのコスモポリタンな民主主義を構想する論者もいるなど,現行のリベラル・デモクラシーに対するオルターナティブなデモクラシーを求める多彩な議論が展開しつつある。

ベーシック・インカム論争

トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ― ベーシック・インカム論争』
∟ 第4章 弁護人対検察官

4.1 はじめに

4.2 働き者(クレージー)にならない自由
・BIは個人の自由の範囲を広げる。
「真の自由」=人々がやりたいことをする権利だけでなく、手段を持っていなければならない。

・ 真の自由を尊重する社会では、個人が「働き者」と「怠け者」のどちらになるのかを洗濯する自由を尊重されるが、現在の社会では、収入を伴った仕事にこだわっているために、働き者の生活スタイルに偏っている。

・「なぜ働き者は自分の稼ぎから、怠け者のBIの費用を出さなければならないか?」(自由主義者)
→現在の労働だけが現在の社会的財産を生み出したわけではない。BIの方が他の制度よりも中立的ということもある。

・「社会において完全なメンバーシップを獲得するためには、働く義務を果たさなければならず、怠け者の生活スタイルを尊重する必要はない」(コミュニタリアン)
→コミュニティには多数派の専横を回避するために中立性の原理が要請される。善い生活に関するある観念を持つ者が、別の観念を持つ者を迫害することは好ましくない。

4.3 公正と効率の回復
・社会的公正
① プライバシーの尊重
② 不正受給している人々の合法化
③ 最低限の所得を獲得する権利をもつという市民権の考え方を内実化
・効率性
① 行政コストの削減
② 労働市場の柔軟化、雇用率の上昇
③ 「悪性の回転」がなくなる。

4.4 罠、誘因、捕捉
・ 失業の罠、貧困の罠を克服することができる。
・ 資力調査付き給付と違って、有資格者のすべてが実際の給付を得られる。

・ 勤労の有無に関係なく所得が保証されると、労働市場から退出する者が出てくる?
・ BIのインセンティブ効果とディスインセンティブ効果

4.5 フリーライダーするサーファー
・ BIを導入した場合、誰かが生産のために払った努力に、別の者がただ乗りするのを助長し、経済的意味での社会の持続可能性の脅威となる可能性がある。

■「サーファー」への反対論…に対する4つの再反論
①自然からの授かりもの説
既存の社会財の大部分は、現在の労働の産物というよりは、自然と過去の経済からの授かりもの。
②雇用レント説
賃金稼得者は雇用レントを有している。
③プラグマティックな議論
フリーライダーは不可避の代償。
④プライスタグ説
BIは、個性や社会の多様性について実験を促しているのだから、ある程度のフリーライダーの存在は、受け入れなければならない必要悪。→フリーライダーは自由な社会の証し、と筆者は考える。

4.6 費用効果的でないという反対論
・ 部分BIでは不十分であり、水準を引き上げようとすると、税率が高くなる。
・ BIは個別的な必要や事情は無視されるため、非効率である。
・ 社会的分裂を深める可能性。

→選別主義的な分配システムの欠点
・ 資力調査付き給付…的確に、対象を定め、狙い打ち、仕留める必要がある。
・ 保険給付…拠出を行えない者を排除してしまう。

・ BIの利点は広範囲にわたるにもかかわらず、コストは明瞭。反対に、他のシステムは利点がはっきりしているがコストは隠蔽される。
・ どのシステムが最善かについては、技術的にではなく、政治的・イデオロギー的に決定される。

4.7 政治的支持に関する反対論
① BIを支持する政治連合がない。
② 選挙でBIの支持を得るのが困難。
③ 部分BIを導入するのに10年ほどかかる。

・ 実際に検討する段階となると、イデオロギー的な不一致が表面化する。BIは包括的な政策パッケージの一部として位置づけられるべき。BIを目的とした政治連合は間違いで、現実に存在する政治連合の中にBIを浸透させ、政治連合を再編する必要がある。

4.8 結論

政治学の基礎

政治学の基礎

政治学の基礎 (単行本)
加藤 秀治郎
一芸社; 新版版 (2002/04)
イデオロギー、行政国家、官僚制、国際社会と安全保障等について、各種試験にも対応できるように標準的な内容で解説。政治学を初めて学ぶ大学の教養課程や短期大学の学生のためのテキスト。2001年刊の新版。

4901253247

-第1章政治権力
–権力と強制力
–権力の実体概念・関係概念
–政治権力と社会権力
–権力の零和概念・非零和概念
–現代社会の権力構造
–権力論の新しい動向
-第2章支配の正統性と政治的リーダーシップ
–支配の正統性
–権力とリーダーシップ
–リーダーシップの特性理論・状況理論
–政治的リーダーシップの類型
–リーダーシップの類型
-第3章イデオロギー
–イデオロギー
–現実政治とイデオロギー
–自由主義と保守主義
–社会主義と共産主義
–ファシズム
-第4章政治意識
–政治意識
–政治的無関心
–政治参加と政治意識の変化
–政治的社会化
–政治文化
-第5章デモクラシー
–古代のデモクラシー
–市民革命のイデオロギー
–自由民主主義
–民主主義と社会主義
-第6章デモクラシーをめぐる諸問題
–参加デモクラシー
–統治能力の低下
–多極共存型デモクラシー
–競争的民主主義
-第7章議会政治
–等族会議から近代議会へ
–代議制民主主義
–議会政治の原則
–行政国家と議会政治
–一院制と二院制
–委員会制度
-第8章政治制度
–権力分立
–大統領制と議院内閣制
–アメリカの政治制度
–イギリスの政治制度
–日本の政治制度
–フランスとドイツの政治制度
-第9章政党
–政党の成立条件
–政党の発展
–政党の機能
–政党と綱領・政策
–政党と支持層
-第10章政党制
–政党制の分類
–イギリスの政党制
–主要諸国の政党制
–政党制と連立政権
-第11章選挙制度
–選挙の基本原則
–選挙の機能
–代表制の二類型
–比例代表制における議席配分
-第12章投票行動および政治資金
–現代社会における選挙
–投票行動の理論
–選挙と政治資金
-第13章圧力団体
–現代社会と組織的利益
–圧力団体の類型と特質
–圧力団体の理論
–圧力団体の機能
–圧力団体と政党
–アメリカ社会と圧力団体
-第14章圧力団体と政治過程
–圧力政治の形態
–ネオ・コーポラティズム
–市民運動・住民運動
-第15章現代の行政国家
–政治社会の変容
–行政国家化の諸問題
–管理社会の危険性
–行政改革
–官僚と政党
-第16章官僚制
–官僚制の概念
–官僚制の逆機能
–情実任用制と資格任用制
–官僚制と民主主義
–日本の官僚制
-第17章大衆社会の政治
–市民・公衆・群集・大衆
–大衆と大衆社会
–大衆社会の政治
–多元的社会
–大衆社会におけるエリート
-第18章政治的コミュニケーション
–政治宣伝と権威主義的パーソナリティ
–大衆社会とマスコミ
–マス・メディアの政治的効果
–議題設定機能とアナウンス効果
–マス・メディアのグローバル化
-第19章国家
–国家の概念
–国家の主権
–社会契約説
–一元的国家論と多元的国家論
-第20章政治体制の理論
–ポリアーキー
–全体主義体制と権威主義体制
–現代国家と独裁
-第21章日本の議会政治と政党
–政党政治の発展
–議会制度の変遷
–選挙制度
–選挙運動
–日本における投票行動
-第22章日本の政治過程
–現代日本の政党制
–保守党支配
–圧力団体
–地方自治
-第23章国際政治
–国際主権と国際政治
–国内政治と国際政治
–国際政治の変質
–ゲームの理論
–グローバル化・リージョナル化
–国際テロ
-第24章国際社会と安全保障
–国際社会と安全保障
–集団的安全保障
–自衛権と安全保障
–東西問題と南北問題
-第25章政治思想と政治学の発展
–古代・中世・近代の政治学
–近代の政治理論
–伝統的政治学から現代政治学へ
–現代政治学の先駆者
-第26章現代政治学の理論
–イーストンの政治体系論
–アーモンドの政治文化論
–政治学の最近の動向

政治への関心を深めるために
①芳賀綏『現代政治の潮流』(第三版、人間の科学社、一九八九年)
②加藤秀治郎『ドイツの政治・日本の政治』(一藝社、一九九八年)
③丸山真男『日本の思想』(岩波書店、岩波新書、一九六一年)
④M・ウエーバー『職業としての政治』(岩波書店、岩波文庫、一九八〇年)

政治学の入門書

①加藤秀治郎・中村昭雄『スタンダード政治学』(新版、芦書房、一九九九年)
②阿部齊『政治学入門』(日本放送出版協会、一九八八年)
③堀江湛・岡沢憲芙編『現代政治学』(新版、法学書院、一九九七年)
④高畠通敏『政治学への道案内』(増補新版、三一書房、一九八五年)
⑤堀江湛・芳賀綏・加藤秀治郎・岩井奉信『現代の政治と社会』(北樹出版、一九八二年)
⑥依田博ほか『政治』(新版、有斐閣、一九九三年)

政治学の全般的な専門書

①篠原一・永井陽之助編『現代政治学入門』(第二版、有斐閣、一九八四年)
②阿部齊『現代政治理論』(日本放送出版協会、一九八五年)
③曽根泰教『現代政治理論』(日本放送出版協会、一九八五年)
④山川雄巳『政治学概論』(第二版、有斐閣、一九九四年)
⑤阿部齊・有賀弘・斎藤真『政治』(東京大学出版会、一九六七年)
⑥丸山真男『現代政治の思想と行動』(増補版、未来社、一九六四年)
⑦石川真澄・曽根泰教・田中善一郎『現代政治キーワード』(有斐閣、一九八九年)
⑧加茂利男・大西仁・石田徹・伊藤恭彦『現代政治学』(有斐閣、一九九八年)

政治学の動向
①白鳥令 編『現代政治学の理論』(早稲田大学出版部、上巻・一九八一年、下巻・一九八二年、続巻・一九八五年)
②猪口孝 編『現代政治学叢書』(全二〇巻、東京大学出版会、一九八八年~)

事典

①阿部齊・内田満・高柳先男編『現代政治学小事典』(新版、有斐閣、一九九九年)
②大学教育社編『現代政治学事典』(新訂版、ブレーン出版、一九九八年)
③猪口孝ほか 編『政治学事典』(弘文堂、二〇〇〇年)

文献紹介・資料集

①佐々木毅編『現代政治学の名著』(中央公論社、中公新書、一九八九年)
②『時事年鑑』(年刊、時事通信社)、『朝日年鑑』『読売年鑑』『毎日年鑑』(年刊、各新聞社)
③『世界年鑑』(年刊、共同通信社)

現代政治学の方法

①堀江湛・花井等編『政治学の方法とアプローチ』(学陽書房、一九八四年)

政治社会学・政治心理学

①秋元律郎・森博・曾良中清司編『政治社会学入門』(有斐閣、一九八〇年)
②堀江湛・富田信男・上條末夫編『政治心理学』(北樹出版、一九八〇年)
③E・フロム『自由からの逃走』(新版、東京創元社、一九六五年)
④D・リースマン『孤独な群衆』(みすず書房、一九六四年)
⑤R・ドーソン、K・プルウィット、K・ドーソン『政治的社会化』(第二版、芦書房、1989年)

政治過程・選挙
①阿部斎『現代の政治過程』(日本放送出版協会、一九九一年)
②児島和人『マス・コミュニケーション受容理論の展開』(東京大学出版会、一九九三年)
③加藤秀治郎編『選挙制度の思想と理論』(芦書房、一九九八年)
④川人貞史・吉野孝・平野浩・加藤淳子『現代の政党と選挙』(有斐閣、二〇〇一年)
⑤的場敏博『政治機構論講義』(有斐閣、一九九八年)
⑥辻中豊『利益集団』(東京大学出版会、一九八八年)
⑦岡沢憲芙『政党』(東京大学出版会、一九八八年)
⑧岩井奉信『立法過程』(東京大学出版会、一九八八年)
⑨三宅一郎『投票行動』(東京大学出版会、一九八九年)

日本の政治

①橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎『図解・日本政治の小百科』(一藝社、二〇〇二年)
②曽根泰教・金指正雄『ビジュアル・ゼミナール日本の政治』(日本経済新聞社、1989年)
③阿部斎・新藤宗幸・川人貞史『概説・現代日本の政治』(東京大学出版会、一九九〇年)
④G・カーティス『「日本型政治」の本質』(TBSブリタニカ、一九八七年)

国際政治学

①高坂正尭『国際政治』(中央公論社、中公新書、一九六六年)
②加藤秀治郎・渡遽啓貴編『国際政治の基礎知識』(芦書房、一九九七年)
③須藤眞志編『却世紀現代史』(一藝社、一九九九年)
④初瀬龍平・定形衛・月村太郎編『国際関係論のパラダイム』(有信望、2001年
⑤猪口孝『国際経済の構図』(有斐閣、一九八二年)

比較政治学

①M・ドガン、D・ペラッシー『比較政治社会学』(芦書房、1983年
②岩永健吉郎『西欧の政治社会』(第二版、東京大学出版会、1983
③高瀬淳一・近裕一『世界の政治・日本の政治』(実務教育出版、2001年

政治史

①岡義武『近代ヨーロッパ政治史』(創文社、一九六七年)
②蝋山政道『よみがえる日本』(「日本の歴史」第二六巻、中央公論社、一九六七年)
③石川真澄『戦後政治史』(岩波書店、一九九五年)
④W・ラカー『ヨーロッパ現代史』(全三巻、芦書房、1998年、1999年、2000年

政治思想史
⑤勝田吉太郎『民主主義の幻想』(増補改訂版、日本教文社、1986年)
⑥有賀弘・内山秀夫・鷲見誠二・田中治男・藤原保信 編『政治思想史の基礎知識(有斐閣、1977)
⑦関嘉彦『社会思想史十講』(有信堂、一九七〇年)